王様の耳は驢馬の耳

週一の更新で受け売りを書き散らしております。

「日本人が知らない最先端の「世界史」」を読んで その一

日本の近現代史をめぐる議論が、あまりにも日本中心であること。

というのが著者の福井義高氏の執筆動機である。著者は明治以降、日露戦争を乗り越えはしたものの欧米のような大国にはほど遠い「二流の地域大国に過ぎな」なかった。しかし戦後の主流の歴史観は、日本が世界を振り回したかのように語られる。そんな「歴史認識鎖国状態を打破すべく」書いたのだという。

日本人が知らない最先端の「世界史」

日本人が知らない最先端の「世界史」

 

 

続きを読む

「成熟と喪失 ”母”の崩壊」を読んで その二

エリク・H・エリクソンは著書『青年ルター』においてより高次の「父」なる神に直接的に結合することで、反対するローマ教皇やルターの父親への服従を無意味化しようと試みたという。プロテスタントはより強い「父」を求めてはいるが、聖母は認めていない。ルターが女性に対して付け加えた役割は「牧師の細君」になること、そうでなければ「牧師そのものになりたいと願うような女」であり、それがルターの描く理想の女性像である。

続きを読む

「成熟と喪失 ”母”の崩壊」を読んで その一

本書の作者である江藤淳は「第三の新人」と呼ばれる作家たちの作品を通して、現代の「母」の不在を論じている。それは明治の文明開化から始まり戦後の現在でも進行している。

続きを読む

「倫理学」を読んで その十八

今回で和辻哲郎の「倫理学」をとりあえず最後にする。ブログ筆者はここまでに三ヶ月弱の時間を読書とブログの更新に費やしたが、個人的に重要だと思うところ以外は触れていない。きっと見落としもあろうし、誤読誤解もあろう。もし読者が間違いに気づいてくれたなら、ぜひ訂正指導をお願いしたい。

さて、「一つの世界」を目指すための問題に参与するためにはそれぞれの国が歴史性と風土性を担った国家がその存在を保持し続け、そのための道徳教育が必要である。しかし国家固有の道徳である美風を重視するあまり、一層高次の公共的存在を軽んじることは誤りであることを和辻は指摘した。それを避けるために「国民の当に為すべき」ことは「革新」であるという。

続きを読む

「倫理学」を読んで その十七

 ようやく最終巻の四巻目に入る。和辻はこれまでは諸国民が「為した」行為を考察してきたわけだが、ここからは「何を為すべきであるか」を見ていく。

続きを読む