王様の耳は驢馬の耳

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「大衆の反逆」を読んで その壱

言わずと知れたホセ・オルテガ・イ・ガセット著、「大衆の反逆(桑名一博[訳])」。

以前から読もうと考えて、長い間後回しにしていたがようやく読み終えた。何回かに分けてこれを取り挙げたい。

大衆の反逆 (ちくま学芸文庫)

大衆の反逆 (ちくま学芸文庫)

 

 

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「戦後思潮の超克」を読んで

国学四大人(しうし)と言えば荷田春満賀茂真淵本居宣長平田篤胤の四人である。平田が入って契沖が入らないのはなぜかという議論はさておき、国学者と呼ばれる者は皆古典に深い造詣を持っている。古典を繙くことで古義を明らかにせしめ、日本民族の精神の源泉を探ることは、来たるべき未来に備えるおいて指針となり、現在においても倫理的道徳的規範足り得るものであると信じている。

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「私の国語教室」を読んで その参

前回に引き続いて福田恆存評論集からであるが、今回は「世俗化に抗す」を取り挙げたい。

文章の冒頭に金田一春彦の「日本語は乱れていない」から福田は一節を抜き出す。

要するに私の言いたい事は、乱れている、というのは、決して現代日本語の特質ではないという事である。私に言わせれば、これこそ言語の状態である。もし、一糸乱れない整然とした言語があれば、それは成長のとまった言語であろう。

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「私の国語教室」を読んで その弐

前回、国語の乱れは筆記の乱れであり、知識層の無関心の結果が国語に対する無知を招き、それが国語の乱れに帰着したとまで書いた。今回も引き続き福田恆存著『私の国語教室』を見ていきたい。

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「私の国語教室」を読んで その壱

昨今、日本語が乱れているとよく耳にする。文化庁の意識調査によれば、七割以上の回答者が乱れていると考えているようである。どのように乱れているのかを考えるにあたって、その基準となるものは過去の日本語以外に外はないが、我々日本人は「現代仮名遣い」及び「当用漢字」についての反省は恬として加えない。

これに注意を促す意味でも福田恆存の『私の国語教室』は多くの示唆を与えてくれる書である。今回はこれを扱ってみたい。

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