王様の耳は驢馬の耳

週一の更新で受け売りを書き散らしております。

イソップ寓話の教訓

蛙たちは民衆政治に飽きて毎日ゲコゲコ鳴くだけ。

そこで神様に王様を送ってくださるようお願いした。

ところが送られたのは一本の棒杭。

蛙たちは口もきかず動きもしない王様をやがては馬鹿にした。

動く王様を送ってくだされ。

そこで神様は鶴をお遣わしになった。

鶴は片端から蛙を飲み込んだ。

もっとましな王様と取り換えてくだされ。

すると神様はこう仰った。

お前たちは初め自分で治めるはずだっただろう。

だがそれをしなかった。

初めの王が優しくおとなしければよかったはずだ。

今度の王で我慢せよ。

もっと悪いのが来るといけない。

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日本の於ける理性の傳統を読んで その四

前回と前々回は「道理」と「自由」が鎌倉時代からの日本の精神史に影響の大なるを概略的に見てきた。この二つの思想が日本の近代の幕開けの標識語であるとする小堀桂一郎先生の主張であることは前回にも触れた。今回は「天道」について本著をもとに書いてみたい。

bambawest.hatenablog.com

 

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日本の於ける理性の傳統を読んで その参

 前回の記事で「自由」に触れたが、今回は少しこれに言及してみたい。前回からの繰り返しになるが自由は明治以降FreedomやLibertyの訳語であると言われているが、俗説に過ぎない。これはもともと仏教語で大陸から伝わり古くから日本にあり、日本書紀にも見られる言葉である。

bambawest.hatenablog.com

 

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日本に於ける理性の傳統を読んで その弐

 前記事で道理が近代開始の標識後であると、小堀桂一郎先生が著書において述べられた。では道理とは如何に把握され、どこまで浸透していたのか。

bambawest.hatenablog.com

 

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日本に於ける理性の傳統を読んで その壱

  歴史の区分は幾つかに分けられるが、今日において通説となっているものは古代・中世・近世・近代・現代の五分法であろう。中世と言えば政情不安定で、戦乱や疫病が社会全体を覆い停滞が甚だしい時代とされ、暗黒時代とも呼ばれる。この歴史区分には諸説あり、未だ仮説の域を脱していない。しかし日本においては中世はなく、上記の歴史区分では日本の歴史は捉えられないと主張をされているのが小堀桂一郎先生である。

 

日本に於ける理性の傳統 (中公叢書)

日本に於ける理性の傳統 (中公叢書)

 
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