王様の耳は驢馬の耳

週一の更新で受け売りを書き散らしております。

投票率と政治への無関心について

投票率の高い低いはどこで決まるのか。昭和22年からの総務省発表の国政選挙における投票率の推移を見ると、最高が昭和33年の76.99%で、最低が平成26年の52.66%である。投票率100%が理想であろうが、そんなことにはならないだろうし、そうなったらなったで異常であろう。
とりあえず70%程度が高く、50%程度だと低いと言えそうだが、その差は20%程度である。10人に2人が投票に足を運ぶか否かが高い低いを分けているようだ。

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「大衆の反逆」を読んで その弐

今回も「大衆の反逆」を取り挙げたい。前回は現代の各所に見られる「野蛮」に言及して終わった。大衆の野蛮はとどまるところを知らず、飽くことを知らない。今回は多少重複するがもう少し詳しく、そして、その他にも触れてみたい。

大衆の反逆 (ちくま学芸文庫)

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「大衆の反逆」を読んで その壱

言わずと知れたホセ・オルテガ・イ・ガセット著、「大衆の反逆(桑名一博[訳])」。

以前から読もうと考えて、長い間後回しにしていたがようやく読み終えた。何回かに分けてこれを取り挙げたい。

大衆の反逆 (ちくま学芸文庫)

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「戦後思潮の超克」を読んで

国学四大人(しうし)と言えば荷田春満賀茂真淵本居宣長平田篤胤の四人である。平田が入って契沖が入らないのはなぜかという議論はさておき、国学者と呼ばれる者は皆古典に深い造詣を持っている。古典を繙くことで古義を明らかにせしめ、日本民族の精神の源泉を探ることは、来たるべき未来に備えるおいて指針となり、現在においても倫理的道徳的規範足り得るものであると信じている。

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「私の国語教室」を読んで その参

前回に引き続いて福田恆存評論集からであるが、今回は「世俗化に抗す」を取り挙げたい。

文章の冒頭に金田一春彦の「日本語は乱れていない」から福田は一節を抜き出す。

要するに私の言いたい事は、乱れている、というのは、決して現代日本語の特質ではないという事である。私に言わせれば、これこそ言語の状態である。もし、一糸乱れない整然とした言語があれば、それは成長のとまった言語であろう。

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