王様の耳は驢馬の耳

週一の更新で受け売りを書き散らしております。

「水戸學要義」を読んで その二

「水戸學要義」に関する投稿の二回目である。

水戸学は徳川光圀公の第一期の創業時代に続き、徳川治保公の第二期の中興時代がある、と著者深作安文はいう。このとき彰考館にいた藤田幽谷は古学と陽明学を水戸学に取り入れ、実用の学となる。それは息子である藤田東湖が残した次の言葉にも表れている。

「學問は實學に無之候ては却て無學にも劣り申候」

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「水戸學要義」を読んで その一

今年最後の投稿になる。

さて、水戸学といえば「大日本史」であるが、その編纂事業を計画したのは水戸黄門で知られる水戸藩第二代藩主、徳川光圀公である。この修史事業は明暦三年(西暦1657年)から明治三九年(西暦1906年)までの、二五〇年におよぶ一大事業であった。巻数はといえば、全部で三九七巻二二六冊にも上った。世界広しといえどこれほどの編纂事業が他にあることを寡聞にして知らない。

水戸学とはその修史事業のもと、藩主らと彰考館に集まった多くの学者らによって形成された一種の教学なのである。水戸学の名称は日本弘道会を創立した西村茂樹伊藤仁斎の古学や、林家の朱子学と区別してつけたものである。

水戸学というと偏狭な国粋主義であるとの印象を持つ者も少なくない。しかし、実際はどうなのか。今回取り上げる「水戸学要義」の著者である倫理学者の深作安文は水戸学を表して「歴史主義に基づき、大義名分を明にして皇室中心の国家生活を高調する教学である」と主張する。

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「ホモ・ルーデンス」を読んで その二

文化は遊びとして始まるのでもなく、遊びから始まるのでもない。遊びの中に始まるのだ。

上の一節はホイジンガが何度も注意を促しているところのものである。遊びは文化に先んずるものであるが、文化が遊びから始まったのではなく、遊びのなかに始まったということは前回ですでに触れた。ホイジンガの遊びの定義は次の通りである。

遊びとは、あるはっきり定められた時間、空間の範囲内で行われる自発的な行為もしくは活動である。それは自発的に受け入れた規則に従っている。その規則はいったん受け入れられた以上は絶対的拘束力をもっている。遊びの目的は行為そのもののなかにある。それは緊張と喜びの感情を伴い、またこれは「日常生活」とは、「別のもの」という意識に裏づけられている。

これを視野に置いて今回も遊びについていくつか見ていきたい。

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「ホモ・ルーデンス」を読んで その一

とりあげる順番で言えば、ロジェ・カイヨワの前にこちらを先にすべきなのだが、諸事情あって後になった。以前の記事でホイジンガに触れたが、今回はもう少し深く関わってみたい。

表題である「ホモ・ルーデンス」とは「ホモ」は人を意味し、「ルーデンス」とは遊戯を意味するホイジンガの造語である。つまり遊ぶ人という意味だ。彼によれば遊びは文化より古いとしているが、文化は遊びから発するのではなく、遊びのなかに、遊びとして発達するものであるとしている。

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「戦争の変遷」を読んで その三

これまでの議論の前提に、戦争はなにかのために行われるという仮定がある。つまり戦争とはある目的のためにする一手段であるというクラウゼヴィッツ的立場にたった議論であるとクレフェルトは指摘する。しかし戦争の目的は多種多様であり、世俗的利益と抽象的理念とが複雑に絡み合い、容易にこれらを分類することを許さない。が、ここでクレフェルトはもっとも重要な戦争形態が抜けているという。それは共同体の生存を懸ける戦争である。

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