イスラム教の基礎知識的な随筆 その二 コーラン
今回はコーラン*1の成立についてです。早速見ていきましょう。
この聖典はイスラム最後の牙城です。一字一句全てが神の言葉です。ですのでコーランを床に置いたり、穢れた手で触れることは許されません。翻訳もやむを得ない場合にのみでしかされません。しかし、公私問わず非常に広くイスラム社会では朗読されており、恐らく最も多く読まれている本ではないでしょうか。
さて、コーランの編纂ですが、ムハンマドは預言者としての23年間、受けた啓示の筆録した断片の多くは、彼の生前に整理されませんでした。しかし彼の死後、最初のカリフ*2、アブー・バクルに散逸を恐れたウマル*3が進言し、一巻の書に纏める事を決意させたのです。
しかし纏められた啓示の断片は機械的に並べただけのもので、長文を始めに置いて、短文になるに従って後ろに纏めただけのものでした。そのため時系列的に把握することが困難であるため、これがコーランを難解難読に足らしめる所以なのです。イスラム教徒にすれば、真なるコーランは天にあって、本当の意味は神のみぞ知ると考えているようです。
コーランの内容について。
ユダヤ・キリスト教に酷似しています。アダムとイブ、アブラハム、ノア、モーゼ、等々、全て認めています。アルマゲドンまでちゃんとあります。やはり、ユダヤ・キリスト・イスラムの神は同一の神なのです。
ちなみにキリストに関しては非常に敬意を払われています。処女降誕も行える奇跡も認め、これを否定するユダヤ教を非難までしています。
しかし、あくまで預言者としてです。つまり刑死したことは認めません。ムハンマドにとってはアッラーの預言者が磔刑に処されることは絶対に認めることができないからです。
さらに「神の子」と呼ばれることを非難しています。なぜなら「神は生まず、生まれず」の信仰から神の「子」というのは間違っていると考えるからです。
今回はここまでです。次回はスンニ派とシーア派に就いてお話したいと思います。最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。