王様の耳は驢馬の耳

週一の更新で受け売りを書き散らしております。

イスラム教の基礎知識的な随筆 その五 イスラム教法学

今回はイスラム法学を取り上げたいと思います。

「我民に於ける見解の相違は、神の慈悲なり」

上はムハンマドの言葉です。イスラム教徒はこれを信じ互いに他の法学派を是認しています。煩を恐れてここでは取り上げませんが、現在スンニ派は四つの学派に、シーア派は二つの学派*1に分かれています。

 イスラム教法学の発達はシャーフィイ―*2を以って終わったと言われています。その後の法学史は、諸派の初代法学者の学説を祖述するに留まります。アラブ人のとイスラム教徒としての気質も相俟って保守的傾向が甚だ強いのです。

各学派の初代法学者は律法の建設者として知的優越者として、後世の学者とは分けて考えられています。故に、師の学説を自由に批判し、学説を研究する態度はなく、ただ祖師に忠実たらんとするのみに専念しました。部分的修正はあったのですが、本質は何らの変更もなく今日に至ります。

イスラム法学の学習方法は伝統に則り「口授」に依ります。学徒は口授された法学を懸命に記憶します。口授に依らねば正式に学んだと認められないというのが一般イスラム教徒の支配的な意識です。

 

次にイスラム教法律の特徴を見てみましょう。それは、宗教的、道徳的要素の混在と、公法の不完全なことが挙げられます。つまり私法的性質が色濃いということです。なぜなら民衆はただ神と預言者とを信じる他は国体、団体の成員であることに無自覚であり、各々が律法を守れば何の衝突も起こり得ないはずだからです。しかも律法は個人としての信者に対するもので、いかなる団体の成員に対するものではないからです。

さらにイスラム教圏が拡大するに従い、圏内に異国民が増えてくるに及び、全てをイスラム教法律だけで統一することは不可能でした。そして諸国民も従来の法律制度を棄てることを認めませんでした。そのため返ってイスラム教法律が諸国の法律に依って影響を受けます。

そうしてイスラム教諸国には、イスラム教法律と独立で各国の慣習法に基づく二つの法律系統が出来ました。とは言え一部の法学者は慣習法を認めていません。彼らは神の掟が徹底して信者の全生活を支配する「黄金の世*3」が来ることを夢見ているのです。

イスラム教に関しては今回で一旦区切ります。最後まで読んで頂いてありがとうございました。

*1:一つは消滅

*2:アブー・アブドゥラ―・ムハンマド・シャーフィイ―(767年ー820年)。アッバース朝の法学者。

*3:正統の四カリフの時代