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王様の耳は驢馬の耳

受け売りを書いているだけです。気になさらないで下さい。

宗教は軽蔑すべき迷信か その弐

 前回は宗教とは如何なるものであるのかを述べた。今回は宗教権威の失墜が如何に起こったかということから見ていきたい。

 

bambawest.hatenablog.com

 

  さて、既存の宗教がその権威を失い、迷信であると考えられるようになった第一の原因は、自然科学の長足の進歩の結果であろう。聖典の矛盾、つまり従来宗教が教えてきた知識の誤謬が次々と指摘され、宗教家自身もこれを致命的としたためである。

 これは宗教的世界観(信仰)と理論的世界観(知識)との衝突である。だがこれらの二つは本来対立しないのだ。対立するものだと考えるのは、知識を宗教の根底とした事と、宗教的世界観と宗教そのものとを混同することに起因している。大川周明は言う。

斯くの如き誤解は、人生を統一すべき宗教的生活を極端なる知力主義に陥らしめ、生きたる宗教を文字議論の末に堕せしめて、遂に宗教を以て一般人の実生活と没交渉のものたらしめるのである。

 これは宗教と個人とにとって不幸であった。そうかも知らんが、別段宗教など無くても一向困らぬ、と言うのが無宗教者の感想ではなかろうか。

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 非科学的であると嗤うのは簡単である。が、科学にも限界があることを知らねばならない。人間とは如何なるものかという知的要求と、如何に生きるべきかという実践的要求に対し、自然科学からは暗示は得られようが答えは齎さない。

 従って科学と宗教は調和せねばならない。知識の進歩に対し、飛躍的に伸展し追いつかねばならないのである。知識と信仰は人の精神生活の両翼であり、分かれて存在し得ないし、離れたままでは心は満たされないのである。

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 であれば、宗教的世界観は換わらねばならない。儀式、聖典はもとより、表皮的なものは変換されねば早晩宗教は誰にも顧みられることがなくなってしまうであろう。信者からすれば畏れ多いことであり、不遜とも見られよう。最後に旧約聖書詩篇」第102篇25~27節から引く。

あなたは古え、地の基を据えられました。天もまたあなたの御手の工です。

これらは亡びるでしょう。しかしあなたは存えられます。これらはみな衣のように古びるでしょう。あなたがこれらを上着のように替えられると、これらは過ぎ去ります。

しかしあなたは変わることなく、あなたの齢は終わることがありません。

 天も地も古び、遂には衣のように替えられる。精神を象徴するものは衣服であり、着られるのは一時だけで、やがては脱ぎ捨てられてしまうである。しかし宗教は生き存え、終わることはない。