王様の耳は驢馬の耳

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日本に於ける理性の傳統を読んで その壱

  歴史の区分は幾つかに分けられるが、今日において通説となっているものは古代・中世・近世・近代・現代の五分法であろう。中世と言えば政情不安定で、戦乱や疫病が社会全体を覆い停滞が甚だしい時代とされ、暗黒時代とも呼ばれる。この歴史区分には諸説あり、未だ仮説の域を脱していない。しかし日本においては中世はなく、上記の歴史区分では日本の歴史は捉えられないと主張をされているのが小堀桂一郎先生である。

 

日本に於ける理性の傳統 (中公叢書)

日本に於ける理性の傳統 (中公叢書)

 

  古代を神代の肇国から平安時代末期までとし、近代を鎌倉時代からとされているのは実に興味深い。もし中世があるとするならば、それは保元の乱(1156年)から承久の乱(1221年)までの66年間がそれだと述べられている。つまり日本には暗黒時代はなかったと言うわけである。

 ではその根拠はと尋ねれば著者によると、近世と呼ばれるには条件があり、近代開始の決定的標語が「理性」である、という。日本においては「理性」を「道理(だうり)」と置き換えられる。つまり鎌倉時代から始まる武家社会は、平安時代まで続いてきた支配の基本であった律令とは別の法体系が求められ、その要求に「道理」を土台に据え治国の根拠としたのである。

 端的に言えば、肇国からの宗教的時代とは別の、皇室の謂わば王権神授説では通用しない力の時代を自前の法律、つまり「関東御成敗式目」でもって治め、その根拠が「道理」であった。自前と書いたが、これはまさしく純国産の法律であり支那から輸入した律令制とは一線を画する。

 憶測に過ぎないが律令制の破綻は、外来物を日本に適応させようとした所に無理が生じたのかもしれない。この律令制は土地の所有を認めぬという点で、多分に社会主義的思想に近いものを感じる。無論階級も宗教もあるため同じとは言えないが、しかし壮大なる社会実験であったとは言えよう。この事は現代でも日本に限らず、重大なる教訓となるはずであるし、なったはずである。

  この本はもう少し続けて書いてみたい。