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王様の耳は驢馬の耳

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日本の於ける理性の傳統を読んで その四

歴史 思想

前回と前々回は「道理」と「自由」が鎌倉時代からの日本の精神史に影響の大なるを概略的に見てきた。この二つの思想が日本の近代の幕開けの標識語であるとする小堀桂一郎先生の主張であることは前回にも触れた。今回は「天道」について本著をもとに書いてみたい。

bambawest.hatenablog.com

 

  カントによれば道理、つまり理性が「当為」として働くには、その根拠として意志の自由、魂の不滅、創造主とを挙げた。これらは理性や理論では証明し得ないが、証明がなくとも自明であるとしたのが「要請(postulat)」(乃至公準)である。*1

 日本には元来、宇宙の創造主はいない。天津神がそれであろうと問われそうだが、これらの神々は成ったのであって宇宙を造ってはいない。厳密に言えば天津神の成りませるは、宇宙の成り立ちの経緯の説明である。ゆえに創造主ではないのである。

 カントの言う理性にせよ自由にせよ、それらは創造主が予め人間に与えたもうたもので、創造主がすべての根拠であり保証である。創造主の証明などは人間の知性の及ぶところではないが、自明のことであるため証明は必要としない。とにかく存在するのである。それほど西洋においては創造主の存在は正当性を有つのであるが、東洋においてはこれに代替するものは「天道」である。

 だが大陸ではともかく、日本でどれほど超越者としての天道が意識されていたのか。キリシタンが日本に輸入せられ、初めて創造主という概念が持ち込まれて漸く日本でもこれに対抗する超越者の観念が拵えられたといった印象を拭えない。

 例えば心學五倫書、假名性理、本佐録の三書に共通して「天道とは天地の間の主人なり・・・」と書かれている。しかし先生は言う。

まず<天地の間の主人>なるものが存在するという思想自体、デウスの教義に接するまでは日本人の考えたことのないものであった。かかる存在があって、それが天道だというのならば、即ちデウスとは天道なりと述べたことになる。*2

 正確を期せば、デウス(創造主)と称するものは日本人の奉ずる天道だ、と言っていることにもなると述べる。それまで超越者として把握されていなかった天道に、普遍主義(個人主義に対する意味での)に対抗するための理論武装であったと考えられる。

 国学四大人で有名な本居宣長は天道に否定的である。天道などというは大陸からの輸入品で、覇道の口実に使われてきた漢人の造り言だと切って棄てる。それは神代の古伝説が失われて「まことの道」がわからないために理屈を捏ね回すのであるという。神道のみ、つまり「神ながらの道」がまことの道だと説く。*3

 次に水戸学も見ておきたい。言わずと知れた水戸光圀公の大日本史編纂事業の発案者である。江戸時代の官学であり主として朱子学の流れを汲み、大義名分を明らしめんとした。大義名分とは謂わば、君は天として臣は地としてその名分をはっきりと弁別し、決して地が天を覆うことがないようにする古来からの伝統的社会秩序の概念である。

 天だの地だのと書いたが、これは古代から日本人が純朴に信じてきた自然的秩序を解釈するための説明としての儒教的後づけの論理である。これに日本の「道」の概念を重ねて「天道」とよんだのだ。「お天道さま」に象徴されるように日本において不動の座を占めるかに見えたが、上記の本居宣長の批判に市井の人々はともかく、知識層は少なからず動揺する。しかしこれに耐えることで日本の朱子学は大きな飛躍を遂げる。先生は言う。

それは即ち「神天合一」にして且つ「神主儒従」という標語で要約できるものであった。・・・平文で言えば(中略)<天の思想の著しい日本化>であった。

 この日本的儒教思想が後の幕末維新で大きな役割を遂げるのである。キリシタン流入を機縁として端を発した超越者の概念が、日本をして「天」を世界の主催者とする思想を強く意識させる契機となったことは、精神史上重要な意味を持つ。しかし結局のところ日本的なる古来からの「道」を補強するに留まったという歴史的事実は注目に値する。

 と言うのも、西洋ではキリスト教流入した後、風習などの形で残っているとは言え、殆どの国においてキリスト教的世界観で自国の歴史を上書きしてしまったからである。日本では古くは儒教仏教、そしてキリスト教など、次々と異教が輸入されたにも拘わらず、それを現代まで異教という意識を失わずに来たことに驚かされるのである。

 これが日本文化の懐の深さであると誇るのは容易い。だが、やはり日本を日本たらしめているのは、一にも二にも御皇室の存在であろうと考える。津波のごとく押し寄せる西洋文化の渦中で、さもそれに飲み込まれる現代人の名誉であるかのように、我先に飛び込み得意になって英単語を並べる輩が後を絶たない。

 軽佻浮薄なる世間の空気に没することなく、日本の眞面目を保ち続けることがこれからますます重大な意味を担っていくはずである。

 

日本に於ける理性の傳統 (中公叢書)

日本に於ける理性の傳統 (中公叢書)

 

 

 

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*1:本著では魂の不滅には触れていないので、ここでも触ずにおく。

*2:正仮名遣いを平俗な文に便宜上させて頂いた。

*3:しかしその論理だと外国にも天津神が存在することになり、普遍主義に陥ってしまうのではないかと、小堀先生は鋭く指摘する。とは言え儒教が盛んであった江戸時代において、日本の自己本位を高調したのだと見れば好いとも述べられている。