王様の耳は驢馬の耳

受け売りを書いているだけです。気になさらないで下さい。

イソップ寓話の教訓

蛙たちは民衆政治に飽きて毎日ゲコゲコ鳴くだけ。

そこで神様に王様を送ってくださるようお願いした。

ところが送られたのは一本の棒杭。

蛙たちは口もきかず動きもしない王様をやがては馬鹿にした。

動く王様を送ってくだされ。

そこで神様は鶴をお遣わしになった。

鶴は片端から蛙を飲み込んだ。

もっとましな王様と取り換えてくだされ。

すると神様はこう仰った。

お前たちは初め自分で治めるはずだっただろう。

だがそれをしなかった。

初めの王が優しくおとなしければよかったはずだ。

今度の王で我慢せよ。

もっと悪いのが来るといけない。

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 上はイソップ寓話をもとにしたジャン・ド・ラ・フォンテーヌの寓話、蛙の王様の話である。シャンブリの話では粗筋はほぼ同じだが、最後の教訓部分が違う。曰く、この話は掻き乱したり悪いことをしたりする支配者たちよりも、馬鹿でも悪くない支配者たちを戴く方が優っている、というものである。

原作者のイソップことアイソーポスは紀元前6世紀頃の古代ギリシャの賢人だったとは驚きであったが、さらに意外なのは身分が奴隷だったことである。
酷く醜い外見だったために歯を持った瘤と揶揄されるほどだったという。その醜い外見と鋭すぎる知性が仇となって、最後にはデルポイ人に殺されてしまう。

さて、蛙と王様の話の起こりは古代アテネ市民がデモクラシーを謳歌し過ぎたため自由が放縦に堕し、節度を失い風紀が乱れてしまったときのこと。
小党乱立し党派抗争を専らとしているうちに、やがては僭主ペイシストラトスが覇権を掌握するに至ってしまう。

自由の気風に慣れきっていたアテネ市民は惨めな隷属に耐えられず管を巻いていたのを聞いたアイソーポスが語って聞かせた話だそうである。そして最後に曰く、

「というわけだから、諸君。もっとひどい禍が諸君を襲うことがないように、諸君はいまの不幸に耐えている方が好いのだよ」

さて、もう一つ話を紹介しよう。同じくラ・フォンテーヌの寓話、第三巻、十三話に収められた処世訓である。

羊と狼の戦いが開かれて千年後に和平を結んだ。

和平の証に互いに人質が送られた。狼は幼子らを、羊は番犬らを。

人質の交換は正式な形で行われたが、やがて狼の子は皆んな一人前に。

立派で獰猛な狼になり、羊飼いが居ない間を狙い

美味しそうな子羊の半数を食べて、牙で咥えて森に帰った。

番犬どもは約束を信じて眠っている間に噛み殺された。

上の話からラ・フォンテーヌは、邪悪のものには絶えず戦え、平和そのものは甚だよろしい。私も賛成、しかし信義を守らぬ敵に対して果たして何になろうか、と。平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、安全と生存を保持しようと決意した我が国を彷彿し慄然とさせられる。

痛い目に遭わないと目が覚めないのだと言う者もいるが、所詮は主人から別の主人に替わるだけだと、国民自らを納得させて仕舞うだけではないだろうか。自国を信じられないのは愛国が足らないからだと某氏は言うが、いまの国民のどこに信頼を置けば可いと言うのか。