王様の耳は驢馬の耳

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喫煙の規制について

普段筆者は時事問題は扱わない。テレビも観ない上に、新聞もろくに読まないため世事に疎いのもそうだが、そもそも時事問題は枝葉の話であり、その問題の根は世の空気や思想にあると考えているためである。

今回は空気ではないが、喫煙の規制について多少意見を述べたい。

昨今厚生労働省受動喫煙防止の強化を進める方針を固めたそうである。その内容が全国の居酒屋や焼き鳥屋などを原則禁煙とするという、かなり厳しいものだ。厳しいとしたのは喫煙者の立場からの感想であるが、そうでない人びとにすれば歓迎すべき傾向であると概ね好意的に受け取られているようだ。

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 賛成と反対のいずれの立場にせよ冷静な議論が俟たれるが、これは甚だ心許ない。喫煙問題にはこれまでも様々議論が繰り返されてきた。しかし非喫煙者にすればこれまで受けてきた迷惑と、有るとされてきた健康被害に対しての嫌悪の念が強く、論理的思考を奪っているようだ。

受動喫煙健康被害は医学的科学的に立証されていると規制賛成派は抗議するだろうが、どちら側の資料も立場が違えば解釈も変わるので、健康被害有りや無しやの議論は容易には決着はつくまい。試みに米や麦の摂取による身体の有害性という論文を学者に書かせてみるがよい。いくらでも論理的に立証・反証してくれるはずである。故に現時点ではまだ結論はできないのだから、医学的科学的根拠を理由に喫煙の規制はすべきでない。

無論喫煙による健康に対する実害はないはずはない。が、百害あって一利もないものなど存在しないように、生き物であれば口にする物なんでも一害もないのものなど存しないのは当然だろう。毎日口にする米でも下手をすれば喉に詰まって命を落としかねないし、食べ過ぎれば体に良くないことは分かりきったことだ。米に含まれる成分すべてが無害であると考えるのは楽観に過ぎる。

喉に詰まって死ぬかもしれず、食べ過ぎると不健康だからといって、米を食うのを止める者が居ないように、摂取する物に対する危機管理は各々で図ればよいだけの問題である。それは酒にも煙草にも同じことが言える。わざわざ国や他人が口出すことではない。煙草が体に良くないことくらい喫煙者本人が一番自覚していようことを、政治家や官僚までして貴重な時間と予算を費やしてまで議論することなのか。如何。

よく聞く批判で喫煙のせいで肺癌に罹患し、その治療ために医療費が嵩んでいるとのことだが、それなら砂糖を摂取しすぎたために糖尿に罹った場合も、砂糖やその摂取に対して規制を課してもよいことになる。似たような事例は枚挙に暇がない。従って医療費を根拠に喫煙の規制はできない。

とにかく迷惑だから規制しろという意見もよく見かける。これは滅茶苦茶な話である。迷惑なら自覚無自覚問わず、誰でも他人にかけている。それに迷惑と感じる程度は人それぞれ異なるもので、どこからどこまでが迷惑だと線引きを図ることが如何に困難であるかは言うまでもあるまい。常識の範疇で互いの立場を尊重すれば済む話である。

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とは言え他人の煙は喫煙者であっても迷惑であるから、先ずは分煙を論じるのが順序であり、そんな議論を飛ばして全面禁煙とは極論である。それに迷惑を根拠に規制すべしとするは、煙草に限らず世の迷惑は些細なものも含め、すべて違法であるとする甚だ窮屈な社会に通じる危険性を孕んだ思想である。

殊に自分は喫煙者ではないからと、規制に賛成する軽佻浮薄の徒には呆れる外ない。自分には無関係な趣味嗜好が根拠不明なままに規制されるに任せてしまえば、次は自分の趣味嗜好がその憂き目に遭うかもしれないと考えないのだろうか。借問してみたいものである。

ところで今回厚労省が固めた居酒屋などでの受動喫煙防止強化の根拠が、家族連れや来日観光客の利用を想定したものだそうだ。が、厚労省は居酒屋に子供を連れて行くことを好ましいと思っているのだろうか。

ファミリーレストランでも酒は呑めるから、居酒屋も妥当であるという意見もあるようだが、ファミリーレストランは酒を呑むことを主目的としている場ではない。文字通り家族で来るレストランである。飲酒はついでのはずである。

しかし居酒屋は呑むことが前提にある。そこに家族で来ることを想定して規制することの妥当性はどこにあるのか。厚労省の官僚は居酒屋に普段子供を同伴しているのだろうか。親に限らず、大人が泥酔する醜態を子供の前で晒すことで、子供が軽蔑こそすれ尊敬することなどあるまい。

来日する外国人観光客に関しては、どちらを向いて仕事をしているのかと問いたい。日本人ではなく外国人を理由に規制を強化するとは、一体どこの国の官僚なのか。居酒屋への子供同伴の件もそうだが、厚労省には常識感覚が希薄になりつつありはしまいか。襟を正していただきたい。

喫煙はもはや健康・マナー問題を飛び越して人格的道徳的問題に及んでいる。原発問題によく似た構造である。