王様の耳は驢馬の耳

週一の更新で受け売りを書き散らしております。

世間の誇張について

テレビを見ていて一々目につくのがその過剰演出である。こういった軽佻浮薄なる世相に辟易されている心ある常識人は少なくないと思われる。

さて、そんなような風潮は十七世紀スペインでもあったのか、すでに予め忠告されていたようである。

バルタサール・グラシアン・イ・モラーレス。十七世紀スペインの哲学者であり神学者であり、更にイエズス会の司祭も務めた。司祭の身でありながらスペインに従軍しカタルーニャ反乱で戦い、兵士達から「勝利の司祭」と呼ばれた戦う司祭である。雄々しい彼から発する箴言もまた現実的かつ実践的といえる。

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 最高級(の形容詞)で語るな、というのも我々の心すべき重要な題目である。一つには真実を傷つけぬため、一つには我らの知性を蔑まざらんがためである。誇張は評価の濫費であり、我々の知識と趣味の貧しさの証拠である。……この世に並外れた出来事など滅多に起こるものではないのであるから修飾は常にほどほどにしておくがよい。誇張は虚言と紙一重であり、これによって人はたしなみの欠如という悪評をこうむる。それも重大だが、更に人の理解をも失うのであり、この損失はいっそう大きい。

他方で節度への自覚が常に働いていて、例えば次に引くような穏やかな中庸の徳のすすめがあることをも最後に付け加えておくべきであろう。

良きにせよ悪しきにせよ、最後の澱滓(おり)まで飲み干すことはせぬものだ。或る賢者は智慧の最終の帰結を中庸の徳に置いている。最大の権利は即ち不当な権利となる。レモンをあまりにしぼれば遂に苦味が出る。されば享楽に於いても極端に走らぬようにせよ。精神ですらも刻苦勉励の度が過ぎれば鈍麻する。牝牛だとて残酷に搾れば乳の代りに血を出すだろう。