王様の耳は驢馬の耳

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「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」の最終話を観て

白状するが当ブログ筆者はヲタクである。アニメも観れば漫画も愛読している。TVゲームも好きなのだが、歳のせいか前ほどの情熱はすっかり影を潜めて、購入はするが手すら付けないことが屡々ある。

見出しにあるように「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」のアニメ版を視聴したわけであるが、今回はネタバレを含んだ最終話の感想文が書きたくなった。諸々のブログでもいろいろと考察はされているので今更と思って躊躇われたが、全話を通しての主題について一言したいと思う。即ち人間関係における虚実である。

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人間関係には本音と建前があるのは言うまでもないことだが、古今東西こと人間関係に頭を抱えぬ者はいまい。本音と建前の使い分けは、成長する過程で学ぶものであるし、克服すべき課題である。建前が本音と多少の異同が生じようとも予測される結果を視野に置いて考えるなら、その異同の幅がどうであろうと本音を押し殺す術を会得することが社会人として肝要である、というのが社会通念であろう。そう書いているそばから不安に襲われる筆者は、社会不適合者だろうか。

ともあれ、建前を虚構と看做しているのが話の主人公である比企谷八幡(ひきがやはちまん 以下八幡)であり、彼の葛藤を深くする原因である。本音の、彼の言うところの、「本物の関係」以外を嘘と欺瞞として蔑視している。故に基本は孤独、所謂「ぼっち」で誰とも馴染もうとしない。なんともうぶで世間知らずの青年であるが、それが故に青春ラブコメとして成立するわけである。

ヒロインは雪ノ下雪乃(以下雪乃)である。彼女も幼少からの経験が影響し人間関係に価値を置いていない。人の本性は悪であり、親しくなった者も「持つ者」としての優秀で端麗な自分を疎ましく思い距離を置くものと思い込んでいる。容姿は人並みで得意分野はあるものの、必ずしも優秀とは言えない「持たざる者」の八幡と対照的であるが、人間関係の構築に致命的欠陥があるという点で共通がある。

準ヒロインの由比ヶ浜結衣(以下結衣)は二人とは対照的に人間関係構築に関しては卒がないが、建前を取り繕うことの自己欺瞞に苦しんでいる。しかし話が進むうちに彼女自身と雪乃が八幡に想いを寄せていることに気づき、諍いながらも築いてきた三人のこれまでの信頼関係が破綻してしまうであろうことを確信するに至る。

最終話で結衣は決着の付かない三角関係の清算を図る。彼女の提案を要約すれば、三人のこれまでの関係を維持するための、自分と雪乃の八幡に対する思慕の自制の要求である。それはバレンタインデーに八幡に渡した「お礼のクッキー」に象徴されている。なぜならもし「全部欲しい」と言った彼女の言葉の全内容が八幡への想いであれば、本命チョコを渡すはずである。

選び得る選択肢は三人の関係か、八幡か、の二択しかない。一方の選択はもう一方の破綻を意味する。それは雪乃も同様である。二兎を追えない結衣の苦渋の決断として、三人の関係維持を選んだのだ。

幼い頃から自発的積極的選択を為して来なかった雪乃は大いに動揺し、結衣の提案をあわや受けようとするが、八幡はそれは欺瞞であり、曖昧な馴れ合いの関係は本物ではないとして否定する。

しかし彼は持論が理想であることを本人が自覚していることは重要である。つまり現実を無視して叶わぬからといって、不要のものとは看做さないからである。叶わぬと理解しながらも苦悩する道を選ぶことは、理想に対する姿勢としては正しいであろう。結局雪乃の提案は言いかけたところで突然話が終わるので最後までわからない。

さて、結衣の選択は理想、乃至本物ではないのだろうか。嘘と欺瞞を前提に三人の調和を優先する姿勢は、真の関係を構築する姿勢として間違ったものなのか。私見に従えば、間違っていたとは言い難い。

ここで考えねばならないことは、「本物の関係」乃至真の関係とはなんであろう、ということだ。嘘と欺瞞のない関係とはいったいどういったものか。人と人との関係で一切の障害もなく、完全に自由の心で自身に対する欺瞞もなく、相手との関係を結ぶことなど可能であろうか。

人は自身の心の働きですら人は容易には推し量れるものではないし、事々に自分の心を検閲にかけるなどできるものではない。そのようなことを自分には疎か相手にまでそれを求めていては、お互いに精神を擦り切らせてしまうことだろう。ならば「本物の関係」などないことを前提に、それでも、そうであるかのように振る舞うことは建前の関係かもしれないが、賢明な選択である。

結衣の提案は雪乃に対する、八幡との恋愛の断念による苦悩を前提に要求している点で確かに卑怯な行為である。しかしながら結衣の行為を責めることはできない。なぜなら三人の中に彼女はその提案できるだけの関係の深化と維持の貢献は重大であるし、その立場を彼女自身で築いたからである。故に彼女にとってこの提案は正統な権利であるから、観賞者も彼女の行為が卑怯とは映らないだろう。

結論を急ぐ。本物の関係、本物の愛、本物の友情、これらのものは理想、乃至幻想である。しかしそれが、あるかのように振る舞う姿勢が大切である。それは欺瞞を含むこともあろうが、それを自覚することで現実から離れず理想に溺れないための要なのだ。

このアニメに引き寄せて言えば、八幡と雪乃との恋愛が成就しようともしまいとも、どちらでもよいのだ。または欺瞞を自覚しつつも、関係を続けていくのもよいのである。より重要なことは、この関係が彼等の将来への一歩を踏み出す契機になるか否か、である。なるのであれば結果はどうあれ、その青春の役割は十分に果たしたと言える。そうであれば、彼の青春ラブコメは間違っていないはずだ。

ちなみに主題の結論は作中既に出ていると満足しているので、筆者は続編を待たない。