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日本資本主義の精神を読んで その弐

「日本資本主義の精神」の著者、山本七平氏は言う。江戸時代は日本の歴史の中で、最も興味深い時代であり、およそ二百五十年の治世のうちに「自前の秩序」を確立した。

本著のなかで最も強調されるのは石田梅岩であるが、彼の思想の基礎には鈴木正三がある。彼は禅僧であり、曹洞宗に属する。もとは則定城主、鈴木重次の長男で二百石の旗本であったが出家し、「破切支丹」を著すなど優れた思想家となる。さっそく正三の思想を見てみよう。

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正三は宇宙の本質を「一仏」であると看做し、仏には三つの「徳用」があり、それらは「月なる仏」と「心なる仏」と「医王なる仏」が人間に作用することで本質としての「一仏」の存在を知ることが出来ると考えた。

「月の心」は宇宙を象徴し、天然自然の秩序を意味し、月が水一滴にも映るように各人の心も天然自然の秩序を宿すことが「心なる仏」の意味である。故に天然自然の秩序に内心の秩序も即応しているのであるから、これに「正直(せいちょく)*1」に従えばよいという思想である。

しかし「心なる仏」に「正直」に従うことは容易なことではない。なぜなら心が病*2に冒されるからであり、この病を癒してくれるのが「医王なる仏」である。この仏に癒やされ「心なる仏」が十全に働けば世は乱れず安寧が訪れる。故に人は精進し成仏せよ、となるのである。

だが農民はみな生活に逐われ、精進する暇がないと嘆く。正三は「農業則仏行なり」と答え、一鍬一鍬が修行であり、一念のうちに農業なさば成仏*3できると説く。商人に対しても同様に説く。

売買の作業は、国中の自由をなさしむべき役人に、天道よりあたへたまふ所也。

つまり物の売買を通して国中の流通を不自由なく行き渡らせることが天道から与えられた役人、つまり商人の担うところであるというのである。無論これも仏行として精進せねばならないが、しかし商人も忙しい。なかなか菩提に進むことが叶わない。それに正三は答える。本著から引く。

……決して「得利否定」ではなく、「先(まず)得利の益(ます)べき心づかひを修行すべし。」であり、その道は「一筋に正直の道を学ぶべし。」なのである。

この「正直」の旨を守り天道に従って商いすれば、これが修行になるという。しかし成果が出ると心が奢ってしまう。利潤を追求すれば「福徳」は得られない。天道から外れ、禍が増し、人からも憎まれ、遂には破産するだろう。そうならぬよう執着を捨てて、欲から離れて「正直」な商いをすれば、利益も優れ遂には成仏できると説いた。

一言で言えば「仏法則世法也」つまりは世法でもって成仏し、世俗も浄化される。約言すれば、仕事は宗教的修行であるということである。ここにプロテスタントの労働倫理でいうところの「天職」に通じるものがある。

さて、上記に従えば、何もしない無職の人間は仏行を重ねない不徳の人間ということになる。無職の人間を批判的に見るのは、根底にこの宗教観があるためである。あるいはフリーターなども前回の記事の文脈で言えば、どの共同体に属さない異端者である。日本ではそういった人間を白眼視する傾向にあるのはそのためであろう。

繰り返すが、鈴木正三の基本的態度は「正直」である。これは梅田梅岩にも通じる態度である。次回につづく。

 

【新装版】山本七平の日本資本主義の精神

【新装版】山本七平の日本資本主義の精神

 

 

*1:通俗的意味でなく、日本人の伝統的な徳目の一つである、古代の「清明心」を基とする「まことの心」。清く明るい、曇りなき心。

*2:これを正三は三毒と説いた。即ち、貪欲、瞋恚(怒り)、愚痴である。

*3:死ぬという意味ではなく、仏に成るの意味である。