王様の耳は驢馬の耳

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神話の嘘と本当

筆者は「安全神話」という言葉自体に多分に違和感を感じる。この四字熟語をネット検索にかけてみれば、以下である。

 確実な証拠や裏付けがないにも関わらず、絶対に安全だと信じられている事柄。或いは、絶対安全だという信頼感。言外に根拠のない思い込み、錯覚にすぎないという含みがある。

 この熟語の意味の前提には神話が無根拠で裏付けのない、思い込みや錯覚に過ぎないという意味が包含されている。つまり神話は論理的に破綻したもので、否定すべきものとして扱われている。ここに妥当性はあるのかと言えば、筆者はないと応じる。

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 神話がまったくの無根拠で、確実な証拠も裏付けもないものであるかどうかの検証はもはや不可能である。なるほど、現代の我々の常識からすれば、到底信じられるものではない事柄が多々見られる。しかし神代にはそうではなかったと言い切ることができない。

では高天原や黄泉の国があるとでも言うのか。八岐の大蛇の如き大怪獣が居たとでも言うのか。居たとするならその証拠を示せ、と反問されるであろうが、検証できない以上は想像に任せる外に手がない。

従ってこれは信仰や感情の問題である。学問的実証的根拠がないことでもって否定し去るは乱暴な結論であろうし、そもそもとしてそのような問い自体が無意味なのだ。神話とは国の成り立ちを教えてくれる、謂わば詩であり、精神的共同体の源泉である。故に神話に根拠を求めるのであれば、それを信仰する国民感情自体がそれだと答えるだけで十分であろうとは、小堀桂一郎氏も述べている。

古事記叙事詩と考えるなら、現代の日本人が神話に触れ、神代の日本人の心に触れることで、神代の日本人の心を現代の我々の中に復活させることは神代と現代の太い紐帯である。その意味で現在でも御皇室が歌会をお続けになっていることはたいへんに意義深い。

そこで上記の問題に戻るが、少なくとも神話を無根拠かつ非論理的であり、破綻したものとして扱い、否定してしまうことは一面的に過ぎると言えよう。そして古来神話を事実として扱ってきた歴史を軽んじるものでもある。

空想を現実として既成事実とすることは、無知からくる迷信であると断じることは容易いが、これを無意義として扱うことは破壊的行為である。破壊の後に残るものが新秩序である保証はない上に、さらなる混沌を惹起せぬとも限らない。

世界を知性に頼って把握できない以上は、空想でこれを補完することは古代人の智慧と言える。故に神話を迷信として扱うことは、一見合理的であるように思えるが、事実合理性に欠けた行為である。

ところで、森鴎外の「かのように」にはなかなかおもしろいことが述べられているのでも今一度紹介したい。鴎外は登場人物に「本当」という言葉から考えなくてはならないとして、裁判所での証拠立てした判決文を事実であり普通の意味での「本当」であると言わせている。

しかし事実に依拠しているつもりであっても、実際には表象に由来する言葉を使っているため、それは詩であるとするランゲの『唯物論史』を持ち出してくる。つまり「本当」とは無意識の詩であり、嘘であるというのだ。

小説は事実を普通の意味での「本当」だとする意味においては嘘だが、最初から嘘と意識して作って通用させている。神話は小説と同様に意識的に嘘として作られたが、最初から事実として作られている点だけが違うのだという。

「そこで今一つの意味の本当と云うものを立てなくてはならなくなる。……そしてその中に性命がある。価値がある。……人生の性命あり、価値あるものは、皆この意識した嘘だ。第二の意味の本当はこれより外には求められない。」

では第二の意味の「本当」とはなにか。

「自由だの、霊魂不滅だの、義務だのは存在しない。その無いものを有るかのように考えなくては、倫理は成り立たない。理想と云っているものはそれだ。 ……人間の智識、学問はさて置き、宗教でもなんでも、その根本を調べて見ると、事実として証拠立てられない或る物を建立している。即ちかのようにが土台に横わっているのだね。」*1

 つまり、事実として証拠立てることのできない或るものが第二の「本当」であり、それが価値のある尊いものであるのだ。それは詩であり意識された嘘である。しかし、それがある「かのように」振る舞う態度の重要性を説く。

「……かのようにがなくては、学問もなければ、芸術もない、宗教もない。人生のあらゆる価値のあるものは、かのようにを中心にしている。」

 神や倫理が事実でないと認めたことを以って、神を涜し倫理を蹂躙するところに危険は生ずる。ではと言って、天国や天動説を信じた過去に戻ることは不可能である。故に「かのように」の立場を採る外はないと鴎外は結論する。しかしそんな立場に立てる人間が少ないことは、鴎外自身が認めるところであった。

*1:太字強調は筆者による