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「日本の歴史をよみなおす」を読んで その壱

著者、網野善彦氏の『日本の歴史をよみなおす』は、日本の歴史的風習を知る上でたいへん示唆に富む史料であると言える。今回はその内容の全てを取り上げることは煩に耐えないので、少々不丁寧であるが気になった箇所を箇条書きにまとめてみたい。

日本の歴史をよみなおす (全) (ちくま学芸文庫)

日本の歴史をよみなおす (全) (ちくま学芸文庫)

 

 

貨幣と商業及び金融についての大略を書き出す。

和同開珎の流通は八世紀初めから十世紀中頃まで。その後十二世紀後半から十三世紀にかけて日宋貿易を通じて宋の貨幣が大量に流入。十二世紀後半に疫病が流行するが、これを「銭の病」と噂が広がる。

銭自体に呪術的な意味があった。十三世紀後半から十四世紀にかけて掘り出される埋蔵銭が増えるのは、無主物となる埋蔵銭を神仏に捧げたのではないかと考えられる。畏れ尊んで使い、欲望を抑えて蓄蔵することで「有徳」であるという考えが出てくるようになる。

古来、虹が立つと必ずそこ*1に市を立てなければならない慣習があった。これは日本だけの慣習ではない。それは虹が来世と現世乃至、神界と俗界との架け橋であり、交易を行って神を讃えねばならないという観念があったのかもしれない。

金融の起源は出挙(すいこ)に帰着する。出挙の基本的原理は、先ず初穂を神に捧げ、神聖な蔵に貯蔵される。次の年に神聖な種籾として農民に貸し出し、収穫期が来れば借りた種籾に、若干の神へのお礼としての利稲(りとう<利息の稲>)をつけて蔵に戻す。この循環が出挙である。十二世紀にはこのような貸付が広く行われた。但し、俗世を超えた神聖な世界と関わることで可能であったため、俗人は容易に関われなかった。

公益に関しても同様で、当時手工業と交易が分離してなかったため、工人は商人でもあった。従って、全国を自由に遍歴し販売する商人は、朝廷に直属していた。一般に彼等を神人(じにん)や供御人(くごにん)と呼んだ。遍歴する市場は「無縁」の場であり、市場で起こった事件は市場の外には持ち出さないという慣習があった。道も同様で、たとえ殺人があってもその場で解決を図り、復讐は認められなかった。

神人や供御人は自らを「神奴(しんぬ)」「菩薩の奴婢」「寺奴(じぬ)」と呼んだが、奴隷的、非賤民として虐げられたのではなく、社会的に見れば武士に順ずる立場にあった。

 神聖視されていた蔵が私的な利銭の歌詞脱脂を盛んに行うようになるのは、室町時代からである。古来の神聖な貸出も依然続いており、蔵の神聖な性格も健在であり、戦の時に大切なものを預けて安全を図ることもできた。しかし徐々に世俗化していく。

殊に鎌倉新仏教などの寺は土地をあまり所有しない財政基盤の弱い寺が、土地や所領に頼らず金融による利息で寺の維持経営に充てたのが、世俗化の流れを推し進めたという。

ところで、この著者の網野氏はこの章の終わりに、以下の提案をしている。それは、江戸時代以降の職人や商人の世界の信仰の状況について鎌倉新仏教との結びつきが非常に強いとし、この観点から日本の社会における宗教のあり方について再検討の必要があるとのことである。

日本の社会の場合、十六世紀にはいってきたキリスト教をふくむ、新しい宗教が血みどろの大弾圧*2によって、独自の力を持つことができない

のはどうしてなのか。これが日本の社会問題を考える際に最大問題の一つであるという。さらに、天皇が権威も権力も甚だしく衰えながら「生き延びられ」、一神教的な宗教が根付かなかったのは何故なのかという問題とは、同根ではないかと考えているのだという。

このように商業、交易、金融という行為そのもの、あるいはそれにたずさわる人びとの社会的な地位の低下と、宗教が弾圧されてしまったということとは、不可分なかかわりをもっていると考えれられ

、日本社会の特質を隈なく明らかにするために、努力が必要であると結ぶ。つまり網野氏は自ら明瞭に述べていないが、恐らく日本の特質の最大問題は排他的であると言いたいのであろう。くだくだしい文章でお茶を濁し、はっきりそう言わないのは少々意気地が足らない。

*1:虹が立つ場所はもちろんわからないが、ともかくそうしなければならなかった。

*2:下線は当ブログ筆者による