王様の耳は驢馬の耳

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「戦後思潮の超克」を読んで

国学四大人(しうし)と言えば荷田春満賀茂真淵本居宣長平田篤胤の四人である。平田が入って契沖が入らないのはなぜかという議論はさておき、国学者と呼ばれる者は皆古典に深い造詣を持っている。古典を繙くことで古義を明らかにせしめ、日本民族の精神の源泉を探ることは、来たるべき未来に備えるおいて指針となり、現在においても倫理的道徳的規範足り得るものであると信じている。

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しかし、「戦後思潮の超克」を著した小堀桂一郎氏は、著書の「古典と私たち」の中で、「古典は元来倫理的教訓ではなく、又教訓とすべきものでもない」もので、「それはどこまでもその通り」であると述べる。

喩えとして大国主神の「国譲り」の一節を挙げる。大国主神は「国譲り」の代償として「祭りといふ霊的な慰藉のみを求めて」、それ以後一切世に出ずに隠れてしまう。それを「何か憐れな、しかし又貴くも潔い心事」であると同情しつつも、「自分の従来の建国の功業、未来の経綸の抱負をも抛つて」、戦わずして国を譲ってしまう。

もしここから現在の我々がなんらかの教訓を得るとすれば、好意的に見れば、和を以て貴しとなすであり、悪く見れば、無抵抗主義である。少々穿った見方をすれば、無抵抗の果ては、惨めな敗北であるとも見られよう。何れにしても、直接的な教訓とすべきでないという小堀氏の論旨はここにある。そして次のように述べる。

その道が直ちに自分のゆくべき方角である、履み行ふべき方針である、といふ意識に於いてではなく、ただ道はどの様に通じてゐるのであらうかと確かめるためにそれを顧みるのです。

上に述べられたように、古典を直接的教訓なり規範とすべきものではない、唯の古い物語であるが、処世の去就に関して「己れの行動の示唆となるべき範例を見出」すことを妨げるものでもないと言う。なぜなら、古典というものは人為的自然的淘汰を生き残った「選りぬきの具体例であり、不朽の生命力を有する譬喩である」ことを読者は無意識に「信頼の土台」としているからである。

この土台は「少なくとも現在の己れの行動の必然性の保証となり、説明となり」、少々心許ないとしながらも、これが国民性ではないかと述べる。 神代から現代までの国民性の連続性を記録し、証明しているのが古典の持つ意義の一大側面だと氏は考える。

このことは古典を共有する民族に一種の「道」を示してはいるが、それが直ちに進むべき方角を指すものではなく、その道がどう帰着するのかを確かめるためのものであると氏は結論する。少々消極的に過ぎはしないかと思えるが、氏の古典に対して批判的で慎重な姿勢には学ぶところは多い。

 さて、日本の文学史において、八世紀頃から書かれた書物が、現在の日本人でも読めることは世界文学史上の謎であるとも言われている。世界を見渡せば八世紀の西欧諸国はまだ国として分化しておらず、国語もまだなかった。

 西洋キリスト教文化圏の諸国では、……視野に入つてくる精神伝統の直接の連続性はせいぜい千年でありませう。

それ以前まで遡れば、血統は同じであっても異国語になってしまう。西欧諸国においては文学を専攻する者はあくまでも国文学者であり、古典学者ではない。国文学の領域は辛うじて十一世紀頃までで、研究しようにも対象である文献自体が少なく、せっかく身につけた専門知識も近いうちにすることがなくなってしまうのである。

支那においては紀元前五世紀まで遡っても文献は存在するが、読めるのは読書階級に限られ、日本のように民衆でも補注があれば原文で古典に親しめるという状態にはない。千五百年前の最古の文献に遡っても、それが母国語で書かれ、それが読めることは世界を見渡しても日本だけであり、それを当たり前だと思っていることもまた日本だけである。

遠い過去の祖先の心に触れられることの意味は重大である。小堀氏は古典を原則、倫理的教訓とすべきでないと述べた。が、規範や倫理や道徳やは、過去の連続性からでしか見えてこないのも疑いのない事実である。