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「インテリジェンス入門」を読んで その壱

ご承知だとは思うが、今回扱うインテリジェンスとは知能や知識のことを指すのではなく、諜報活動のことをいう。筆者はあまり技術的なことには関心が薄いのだが、たまたま手にとる機会があったのでここで紹介したい。

 著者である柏原氏は本の冒頭で「情報機関を最初から考えてみたいという人のための導入として執筆」され、扱う時代は現代でなく「近代的な意味での情報機関もしくは情報活動が確立される一八七〇年代前後から一九一〇年前後」までに焦点を絞っている。ではざっと見ていきたい。

インテリジェンス入門

インテリジェンス入門

 

 近代的スパイはシュティーバーからか

1818年、現在のドイツのゼクセン州で生まれたヴィルヘルム・シュティーバーは1863年頃にプロイセンビスマルクと出会い、その後彼の悲願であるドイツ統一のために20年間スパイとして働き続ける。シュティーバーの諜報活動の手法は当時の常識や道徳からはかなり外れたもので、プロシアの貴族などからはそうとう疎まれたようである。

具体的には、変装をし行商人として敵国に入り込み敵軍の状態や地図などの軍事に関わる詳細な情報を集める。売春婦を雇ってフランス軍駐屯地に配置する。千人もの女性をフランス士官の家のメイドとして潜り込ませるなど、今日では聞いてもそれほど驚かないような内容であるが、当時としては邪道と見られたのであろう。

とはいえ、「レアルポリティーク」を信条とするビスマルクは、同様に時に裏切り行為すら辞さないリアリストであるシュティーバーを擁護し片腕として使い続け、シュティーバーがもたらす詳細な情報を駆使しドイツ統一を果たした。そしてその後の西洋諸国に情報機関の重要性を悟るらせる契機になった。

フランス情報機関は組織的

フランスの情報活動の特徴はプロイセンのシュティーバーのような個人に依存したものでなく、陸軍を中心に編成された組織的なものであるのが特徴である。情報機関が形造られる過程において、ドイツに対する復讐という大義が他の省庁や政治家などからの容喙を阻み、徐々に陸軍に情報活動が集約されていったという要因がある。当時のフランスは公安・防諜体制が充実しており、疑わしい外国人は選定され監視下に置かれていた。19世紀後半ではフランスはインテリジェンス先進国であった。

組織としての否定的側面

組織として活動するには誰かが統括し、それを適切に管理される体制になければ官僚機構はその領分を超えてしまい、本来の任務から大きく逸脱するようにさえなる。そしてときに国論を二分するような大事件を引き起こしてしまうこともある。ドレフュス事件 - Wikipedia

加えて重要なのが政治の関与である。フランスがインテリジェンス先進国たりえたのは、当時人気の高かったジョルジュ・ブーランジェ将軍が陸軍大臣に就任し、熱心に情報機関の強化に努めたためで、彼の主導権がなければ不十分な活動体制になっていただろう。

さらに、通信傍受から得た情報が政治側で不適切に使われ、政権内での対立を生んでしまい、ドイツに通信傍受を知られてしまうということも起こった。柏原氏はこう述べる。

……情報活動を活性化させるのは政治的なイニシアティブであり、政治の側でインテリジェンスを使いこなすだけのリテラシーがなければならないということでしょう。

スパイ天国と揶揄され勝ちな日本において、つとに情報機関の必要性が議論されているが、インテリジェンスを整備するだけで済む話ではない。政治側がそれを使いこなせなければ無用の長物、予算の無駄になるどころか、むしろ混乱の原因にもなりえるのだ。