王様の耳は驢馬の耳

週一の更新で受け売りを書き散らしております。

「ホモ・ルーデンス」を読んで その二

文化は遊びとして始まるのでもなく、遊びから始まるのでもない。遊びの中に始まるのだ。

上の一節はホイジンガが何度も注意を促しているところのものである。遊びは文化に先んずるものであるが、文化が遊びから始まったのではなく、遊びのなかに始まったということは前回ですでに触れた。ホイジンガの遊びの定義は次の通りである。

遊びとは、あるはっきり定められた時間、空間の範囲内で行われる自発的な行為もしくは活動である。それは自発的に受け入れた規則に従っている。その規則はいったん受け入れられた以上は絶対的拘束力をもっている。遊びの目的は行為そのもののなかにある。それは緊張と喜びの感情を伴い、またこれは「日常生活」とは、「別のもの」という意識に裏づけられている。

これを視野に置いて今回も遊びについていくつか見ていきたい。

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制限された規則に則った戦争は遊び

秩序を守った闘争は遊びであるとホイジンガは考える。常に闘争を制限する規則があれば、ある程度遊びの性格があることを認めなければならない。戦争についても同じことが言える。しかし敵に対し人間としての最低限度の人権さえ認めない場合には、その戦争は文化的とは到底言えるものではなくなる。中世の戦争は戦争状態と平和状態との区別があり、不要な流血を避けてもいたため、文化的見地から見ることもできたが、総力戦が主流となった時代からはそれが不可能になった。遊びの要素がすべて捨てられてしまったと述べられている。

法律と遊びには類縁がある

ホイジンガによれば、法律、法令、裁判などは遊びと真逆の関係に思えるが、それらの間に類縁があるという。法の理念的基礎、つまり道徳的問題から訴訟だけを取り出してみれば、それが競技性を具えており、今日でもなおこの競技性が生きている。

闘技的弁論から哲学へ

古代ギリシャソフィストたちの仕事は、完全に遊びの領域のなかで行われていた。彼らは得意の長広舌を振るって、それを誇示しつつ論敵を打ち負かす。そしてそれによって高額の報酬を得ることを生業にしていたという、まさにプロスポーツ選手である。ソフィストたちは町を渡り歩く旅芸人のようなもので、有名なソフィストであればスター選手のような扱いを受けた。

彼らが駆使したソフィズム(詭弁)は、知恵を働かせ、相手を罠に嵌めようとする問答の遊びであり、そこからソクラテス的な哲学論議の問答へと遷移した。しかしアリストテレス以降、弁論は闘技性へ大きく偏向し純粋哲学を日陰へと追いやってしまう。

現代文化のスポーツは遊びではない

ホイジンガは十九世紀を最悪の側面から見れば、工業的・技術的発展のなかに文化の進歩があると人びとが錯覚し、利害的で経済的力関係が世界の進路を決定しているという恥ずべき謬った思想の下に動いてきたと嘆く。社会から遊びの機能を締め出し、これまでにない徹底的に真面目な時代なのだ。

スポーツはといえば、これも同様である。スポーツを職業としている人びとにとっては、スポーツはもはや遊びではないし、それでいて真面目でもない。そのようなスポーツは、本来の文化発展の過程から外れたものになった。古代であれば競技は神に対して奉献性を具えており、共同社会に対しては文化発展の要因であった。しかしスポーツは闘技性を高めるあまり文化から孤立し、遊びが内在する最高、最善の部分を失ってしまっている。

遊びか真面目かという問題は解き得ない

あるものを指して、これは遊びか、あるいは真面目か、という問題は解き難いものであることはホイジンガも認めている。しかし彼が掴んだ確信は、文化は高貴な遊びのなかに基礎があり、そうでなければ文化は様式と尊厳を失ってしまうということである。遊びの要素を失った文化がたどる道は野蛮であり、混乱である。遊びは約束を遵守するものであるし、「遊び破り(スポイル・スポート)」は文化そのものを犯す行為である。文化を軽んじる国家は「Pacta sunt servanda(合意は守られなければならない)」の必要を感じず、あっさりと合意を破り、自らの野蛮を証明することになろう。

ホイジンガは遊びそれ自体は善でも悪でもない、道徳的規範の外にあるとすでに述べている。しかし個人が自らの意志でする行為が、これは遊びなのか、あるいは真面目なのかの判断を下さなければならないとき、その判断を論理に頼れないのであれば、その基準となるのが道徳的良心である。だが、その基準のもとでの判断では、遊びか真面目かという問題は意味をなくし、最後まで解きえない、永遠の沈黙に入ってゆくという。

ホモ・ルーデンス (中公文庫)

ホモ・ルーデンス (中公文庫)