王様の耳は驢馬の耳

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「平気でうそをつく人たち」を読んで その三

これまではペック氏が邪悪と呼んでいる個人に関する内容だったが、邪悪ではない大多数の個人、つまり集団の犯す悪についても触れておく。ペック氏は1968年ベトナム戦争でアメリカ軍バーカー任務部隊の一小隊によって行われたソンミ村虐殺事件を取り上げ、なぜこのような事件が起こるのかを心理学的に考察している。

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集団の悪の原因は専門化

氏に限らず言われていることが、集団の行動は個人のそれによく似ているということである。ただし、集団の行動は個人のと比較して原始的かつ未成熟な形で現れる傾向にあると言える。なぜそうなるのかという説明は様々だが、ペック氏は原因の一つに挙げるのが「専門化」である。

近代化の原動力として「分業」が果たしてきた役割は大きいわけだが、その分業化が進み、企業から社会に浸透し個人や集団はさらに専門化されていった結果、現代社会は互いが互いに完全に依存し合う関係になった。現代の悪の多くがこの専門化に関係すると氏は述べる。集団の専門化が進むとともに良心の分散・希釈化を招き、個人の道徳的責任が集団の他の部分に転嫁される可能性が生じるばかりでなく、ついには良心が存在しないも同然の状態になる。ゆえにペック氏は専門化に対しての警戒を怠らず、不信の念と安全対策をもって当たるべきだと警鐘を鳴らす。

集団ナルシシズムの邪悪性

集団の行動パターンがよく個人のそれに似ていることはすでに触れたが、これはつまり、一つの集団は一つの有機体組織であり、それが単体としての機能を持つためである。単体としての行動するためには「集団凝集性」というものによって集団を維持しようとする力が働き、それに大きな力を発揮するのが「集団ナルシシズム」であるとペック氏は考える。集団ナルシシズムは、構成員自身が所属する集団にプライドを持つという形で現れ、またそれを高めようとする。それに格好の手段としてよく使われるのが、外敵に対する憎悪の念を助長することである。

しかし、こういったナルシシズムの利用は潜在的に邪悪であるとペック氏は言う。邪悪な個人が自身の欠陥を暴くものすべてを敵視することで、内省や罪悪感やから逃避しようとするように、これが集団にも同様のことが当てはまるのであれば、悪性のナルシシズムに支配された行動が生じると言える。邪悪な人が最も攻撃的になるのは自分が失敗したときであるので、同様に物事に失敗しプライドを傷つけられた集団は、邪悪な行動に走りやすいと言える。集団が失敗したとき集団のプライドが傷つき凝集性が損なわれてしまう。そのため指導者が外敵への憎悪を煽るのは失敗という現実から集団の目を逸らせ、プライドと凝集性を保つためだ。ソンミ村事件はそうした集団ナルシシズムによって起きたとペック氏は分析している。

こういった軍隊の集団ナルシシズムを回避するには、完全徴兵制度こそが軍隊を健全に保つ唯一の道であると氏は提案する。氏の提案はソンミ村虐殺事件のバーカー任務部隊が、志願兵によって編成されていたことの反省からくるものだろう。徴兵制のない軍隊はその機能だけでなく、心理面でも専門化が進んでしまうので、徴兵制は苦痛を伴うものであるが、軍隊を健全に保つための苦肉の策であると主張する。自分に代わって汚い仕事を引き受けてくれるプロを雇い、流血に伴う苦痛や苦悩やを忘れることなく、真正面から受け止めなければならない、というわけである。

専門化集団の三つの一般的基本法

  1. 専門化した集団は、必然的に、自己強化的な集団特性を身につけるようになる。
  2. したがって専門化した集団は、とくにナルシシズムに傾きがちとなる。すなわち、自分たちの集団は他に類を見ない正しい集団であり、ほかの同質的集団より優れていると思い込むようになる。
  3. 社会全体が――一部には前述の自己選択の過程を通じて――専門化された役割を実行する特殊なタイプの人間を雇い入れる。

間違ったベトナム戦争の心理学的分析

お気付きかも知れないが、ペック氏はベトナム戦争は時の指導者であるジョンソン大統領に騙されて行われた間違った戦争であるり、もしアメリカ国民が政府に騙されていなければ、戦争は起こらなかったと考えていた。氏の考えの正否はともかく、彼はなぜ国民がかくも長く騙され続け、なぜ一部を除き大多数の国民が懸念すら抱かなかったのか。その原因を人間全体に共通する怠惰とナルシシズムに求めている。

我々一般大衆は毎日の生活に追われて忙しい。政治は政府に任せてそれに従うだけだと満足し、あまりに無気力で怠惰だったために政府の嘘に気付かなかったのだ。さらにアメリカ国民は善良な国民から選ばれた政府が間違うはずがなく、世界で最も偉大で自由の指導者であるアメリカが、ベトナムのために考えた体制は正しいはずだと思い込むという、ナルシシズムを政府と共有していたためでもあると分析している。

 

さらにペック氏は我々が科学に対して、それに値する以上の権威を与えていると言う。その原因は二つある。

  1. 科学の限界を理解する者がほとんどいない。
  2. 権威全般に対して依存しすぎている。

我々は科学を「真理」と見做すよう習慣づけられているが、現実には科学的知識とは今現在わかっているうちの、もっとも真理に近いとされているというだけのことである。

真理とは我々人間が手にしているものではない。真理とは、到達しようとの期待をもって立ち向かうべき目標のことである。

科学の権威の意見は、最新のものというだけであり、決して最終的、決定的なものではない。ペック氏は一般大衆は科学者の断定することに疑念を抱くべきであり、そうすべき責任があると警告する。また、けっして自分自身の個人的リーダーシップを放棄してはならないという。さらに、科学の乱用がもたらすもっとも深刻な問題は、真理を装い個人的見解を公言する科学者以上に、科学的発見や概念やをなにがしかの目的に利用する一般大衆に起因するとも述べる。要するに最後は自分の頭で判断しろということである。