王様の耳は驢馬の耳

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「倫理学」を読んで その九

今回は経済に関して和辻の考察を見ていきたい。

今日でいう経済は経世済民ではない

経済とは経世済民の略語であるとは広く知られるところであるが、和辻はこの語は極めて「政治」の概念に近いという。しかし政治は「正義を実現するように社会を秩序立てる」ものであり、経済は「民を済うことに重点を置いて社会を秩序立てる」ものであるので、両者は重なる部分も多いが経済の目標は物資の安寧に限定されている。

しかし現在の経済という語はポリティカルエコノミー、ポリテッシュオイコノミアなどの訳語であり、oikonomia(家政)の思想的伝統を受け継いだもので、経世済民とは軌を一にしない。家政は浪費を取り締まり物資を活用する節倹、節用を旨とし、そこから「費用対効果」の意義が導き出される。我々は得られる効用や快楽の大きさに対し支払うべき費用や労力が少ないとき、これは経済的であるということからも、上述のオイコノミアの伝統を受けていることは明白であり、経世済民とは根本から異なると和辻は考える。

歴史的経緯を見れば経済はオイコノミア、つまり家政から「ポリスのオイコノミア」、つまり家族を超えた国家、国民、民族などの経済として把握されて初めて「経済」の意義を持つに至った。それは家族より広い人倫的組織によってのみ可能となる。この人倫的組織の原型としてのモデルをブロニスワフ・マリノフスキが『西太平洋の遠洋航海者』で取り上げるパプア・ニューギニアのトロブリアンド諸島の原住民を持ち出す。

原始人の定説に対する反駁

ありきたりな原始人に関して言われてきたのが、原始人は怠け者で、また利己的な合理主義者でもあり、最小限の努力で直接の需要を満たすとされていたが、マリノフスキによればどちらも出鱈目だと反駁する。実際には原住民らの労働は烈しく、彼らの必要とする食料の二倍を産出する。さらにそれだけの生産に必要な労働量を遥かに上回る労力を、畑をきれいに保つ、垣根を手入れするなどの美的目的に費やすという。また直接収穫に関わりのない農作業の呪術的な方面おいて特に著しいという。

また原住民の名誉は「善き農人」たることで、それは「労働や努力が単なる手段ではなくして自己目的」であることを示す。彼らは善き農人としての優劣を競い合い、その成果である収穫されたヤムイモのおよそ四分の三は同族や酋長へ渡してしまうのである。マリノフスキはこう述べる。

トロブリアンド人は回りくどい仕方で労働する。大部分は労働そのもののためである。そうして畑の布置や外観に非常に多く美的な磨きを掛ける。彼を導いて行くものは、需要を満たそうとする欲望よりも、まず第一に伝統的な力、義務、咒術の信仰、社会的な功名心、虚栄心などの複雑な結合なのである。土人は男子ならば善き農夫、善き労働者としての社会的名声を得ようと欲する。

従って文明人のように利益が労働の動機には決してならず、原住民の社会の風習や伝統に従い、それが示す義務や価値が動機となるのである。彼らにしてみれば伝統は正義であり、「正しい者が力を持つ」のである。ちょうどパスカルがパンセで述べた「人は正しいものを強くできなかったので、強いものを正義とした」という命題のちょうど逆のことが実現されている。これではどちらが文明国で未開国なのか。

原始交易は文化事業

さて原始商業は生活の必要に迫られて不定期的に行う物々交換が始まりだというのが通説であったが、マリノフスキが観察したクラ(Kula:交易)はずいぶん違ったものだった。通説によれば原始人は所有欲が強く、損得に敏感だとされていたが、トロブリアンドの原住民にとって「所有することは与えること」であり、与えることを目的とせずに所有に励む者は吝嗇だと考えられ、それは最大の不名誉を意味した。従って貴さは物惜しみせぬことによって認められる、ということがクラの特徴である。

さらにクラに見られる原始交易の特徴として、「生活必需品でないもの」つまり、首飾りと腕輪が主なる交易品だということである。しかもその装飾品は日用に耐えられないものだが、それらはそれぞれ由緒の正しい宝物で富や権威の象徴であるため非常に尊重する。彼らはそれをただ「所有それ自身のために所有」し、それを手に入れるためには命も惜しまないのである。これら装飾品が交易の中心であるから、生活必需品の欠乏が原始商業を促すという考えは全く成り立たないのだと和辻はいう。

またこの交易は厳密な儀式的贈答であって、物々交換ではない。物々交換であればその場で等価のものを交換するが、クラは一方が相手に宝物を贈れば、相手も「任意の時を距てて」それに相当する宝物を「返礼として」返す。もちろんクラに付随した生活必需品の交換は行われたが、クラとははっきりと区別され、しかも軽く扱われている。また返礼品が贈り物の価値に相当するものかどうかは返礼者に委ねられているため、たとえ贈った物の価値よりずっと安価な品が返ってきたとしても贈り手はそれに不満でも抗議はできない。それでも必ず贈り物以上の価値を持つ品を返そうと努力し、そのための危険も顧みず惜しげもなく与える。

こうして見ればクラは衣食住の必要とは違った文化的・伝統的な立場から行われていたことは明白であろう。トロブリアンドの原住民らはクラという文化事業を通じて超部族的な共同意識を実現しているのである。これが原始交易に見る重大な意義であり、原始商業の通説に対する一つの重要な反証である。

倫理学〈2〉 (岩波文庫)

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