王様の耳は驢馬の耳

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「倫理学」を読んで その十六

国土の自覚は国家の自覚

人間存在の空間性が人倫的組織として展開することで家や庭、村落や田畑などで具体的場面に表現されていることを見てきた。それらはそれぞれの共同体に「固有のもの」であり、この固有の存在を担っている自然の姿は「地面に一ぱいに敷きつめている」。これを「自然環境」と呼んでいるが、実際には「主体的共同存在の表現」なのである。その意味での自然環境は「多種多様な内容」を持ち、「複雑きわまりのない織物」のようにあらゆる共同体の諸段階を包含するものである。

従って、人々がこの多様性を統御すべき統一的な視点を持たないときには、この人間存在の具体的場面についての自覚に達することができないのである。

この統一の自覚は「国家の自覚」によってもたらされると同時に、自然環境は「風土」として現れ、さらに風土は「国土あるいは領土の概念」に和辻は結びつける。国土の概念は「一定の土地を他の土地から界限すること」、あるいは「土地の限定」を意味するが、国土の自覚以前は土地の限定は存在しなかった。「国家の形成と土地の限定」とに紐帯があるのは、「人間の営為によって形成される土地」の上では充分に実現されず、人倫的組織の人倫的組織である国家の後から現れだすものだからである。

国土は国民より重要

個人であれば所有する土地を売り他へ移住することも可能であるが、国土は私人の所有物のように自由に処分することは不可能である。ある国の全国民が他国へ移住すればその国は無くなってしまうが、中核領土である本土を保有する限りはその国は無くなることはない。国家は中核領土を変えることはできないのであるから、国家にとって国土は住民より重要なのである。住民の1%を失うことを惜しまない国が、領土の1%を失うことは耐えられないだろう。

その限り、国家は住民と連体的であるよりも一層強く国土と連帯的であるといわなくてはならぬ。これらの点からして国土は国家の身体であり、国家の人格に属するといわれるのである。

「国土を害うことは国家自体を害うこと」であり、所有物としての「財産に対する犯罪ではなくして人格に対する犯罪なのである」。

国名から見る風土性

国土の概念は歴史的自覚と同じように超国家的場面において惹起された。他国を知らなければ自国の「風土の特性」を自覚することができない。ところで日本は古事記のなかで我が国土を「大八島国」や「豊葦原の瑞穂の国」などと呼んだ。和辻はこれを「わが国土の基礎的な特徴」を表したものだという。「大八島・大八州」は九州、四国、本島などの広い土地を島として把握していたことを示し、「葦原の中つ国」や「豊葦原の瑞穂の国」などは「葦原」をもって国土の特徴を表している。「中つ国」は役に立たない葦原を外とし「瑞穂」が茂る水田を中心とした風土の自覚を現すものではないかと和辻は見る。

日本に限らず他の国と比較して、ユダヤ人の「選民思想」は国土に対する態度は大きく異なり「土地なきこと」を特徴としている。彼らは遊牧民であるため一つの土地に縛られず草地を訪ねまわる自由の生活を営み、それが彼らの誇りでもあるが、国土と全然無関係であったわけではない。和辻によれば国家にあるはずの「国土を欠いていた」ために、それが「遊牧の民を突き動かす最も有力な刺激となった」のだという。エホバはカナンの地を与えると何度も約束するが、選ばれた民と約束の地との「不可分の関係を示している。

ヘルダーの分析

ヘルダーによれば「風土の現象は単なる自然現象ではなくして、主体的なるもの「精神」が外におのれを表したしるし」であり、その「しるし」を解読しその意味を会得せねばならないとする。ヘルダーは「人間の精神の風土的構造」を明らかにしようとした。それをまとめると以下である。

  1. 人の風土的感覚:たとえば味覚はその土地の水や気温や動植物などと密接に関係し、その土地固有の料理の様式として発展する。
  2. 風土的想像力:熱帯地方ではサンタクロースは作り出されない。
  3. 風土的実践的理解:風土的な実践的理解がそれぞれに異なった風習や制度を生み出す。
  4. 風土的感情や衝動:風土性を帯びた感情や衝動によって人間の愛の結合が様々の異なった仕方を持つ。
  5. 風土的幸福:西欧人の幸福の観念を持って他の国土の住民の幸福を量ってはならない。人類の幸福が人間の努力の目標ならば、それぞれの土地の姿における幸福を無視してはならない。
倫理学〈3〉 (岩波文庫)

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