王様の耳は驢馬の耳

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「倫理学」を読んで その十八

今回で和辻哲郎の「倫理学」をとりあえず最後にする。ブログ筆者はここまでに三ヶ月弱の時間を読書とブログの更新に費やしたが、個人的に重要だと思うところ以外は触れていない。きっと見落としもあろうし、誤読誤解もあろう。もし読者が間違いに気づいてくれたなら、ぜひ訂正指導をお願いしたい。

さて、「一つの世界」を目指すための問題に参与するためにはそれぞれの国が歴史性と風土性を担った国家がその存在を保持し続け、そのための道徳教育が必要である。しかし国家固有の道徳である美風を重視するあまり、一層高次の公共的存在を軽んじることは誤りであることを和辻は指摘した。それを避けるために「国民の当に為すべき」ことは「革新」であるという。

人倫的な経済的革新

経済組織は人倫的組織の一つであり、人倫の道を実現するために「財」を媒介とするものに他ならないことは以前触れた。あらゆる産業は「人間の生活」のためにあるが、利潤を自己目的化し無制限にそれを追求すれば人間の生活が利潤のための手段になり、人倫的意義を失う。

だから経済組織はあくまでも人倫の道に合うように革新されなくてはならない。国民への貢献を目ざしつつ、しかもおのれの能率を極度に発揮するような組織に改められなくてはならない。

それは単なる自由主義でも統率主義でもない「個性の解放」によって「全体への奉仕」が実現される二重構造を持ったものでなければならない。具体的には自由競争によって「能率の増進」が成され、それによる弊害を統制主義で抑制する。計画経済で「全体の調和・むだの排除」を成し遂げつつ、その抑圧を「自由主義的な活動の喜び」で克服する。そうして企業家の事業は一層有意義なものになり、労働者は一層価値の高いものになるということである。

 文化の尊重による革新

上の経済組織の革新には文化的な革新が同時に必要になる。それは大きく分けて学問、芸術、宗教の革新であるが、そのためには「創造と受用」とに関わり、つまり創造者とそれを尊重し、理解する、「受用の共同体」が国民のうちになくてはならない。全国民が関心を持つ必要はないが、その関心が素地となりよき創造者とよき共同体を産み出すため、国民が無関心であれば進歩しないのは道理であろう。

しかし明治以降の日本では純粋な真理追求の関心としてでなく「功利的関心」として現れ、視界の狭さや各方面の文化的無関心が立身出世に何らの影響もないことが立証された。一度でもそうなれば後から続く者はますます文化的関心を失い、そうした者が大学などの要職を占めるようになりいつしか大学は職業学校になった。学問にせよ芸術にせよ、それらを尊重し社会的地位を高めそれを保たなければ文化的革新は起こり得ない。

大東亜戦争の敗北は封建的忠義道徳論

家の道徳が「孝」と言い表されてきたように、国民の道徳は「忠」と呼ばれてきた。明治から戦後まで「報本反始*1」を根拠として忠と孝とを同一視し、「忠孝一本の国民道徳」と強く主張されていた。これは日本の特性を示すものであるが、教育勅語にはそのようなことは説かれていなかった。そこには「臣民の道」が示されているのであって、封建的な「君主への奉仕」を含んでおらず、「普遍的な人倫の道の実現」を目指せばよかったのである。であるから特に君主に何かをする必要もなく、むしろ人倫の道を尽くせばそれが忠となったはずなのである。これは「封建的な忠義道徳からの完全な解放」であり、和辻はそれに遵っていれば「わが国民の運命も、今日のごとき悲境*2に陥ることはなかったであろう」という。

国民的統一の三つの提言

そう考えれば明治以降の封建的な国民道徳論は功績以上に弊害が大きかったといえる。本来であれば天皇への奉仕が「公共的なるものへの奉仕」として理解すべきであったが、「公共的道徳は未発達な状態」に留まった。したがってこれを反省し国民道徳論を根本的に革新しなければならない。和辻はそのための三つの提案をする。

  1. 国民的統一の重要性を開明すること。
  2. 国民全体性への奉仕と、その心構えの具体的養成。
  3. 国民的統一の表現。

1の国民的統一は国民にとって根本的であり、失われれば国民的存在自体が失われるものである。統一を失えば「一つの国民」とはいえない。国内にどれだけ対立があっても「国民的統一はそれらを超越したもの」であるため、対立はむしろ「国民的統一を真に具体的ならしめよう」とするためのものである。もしある団体が対立する団体を撲滅し統一するのであれば、それは「国民的統一の破壊、おのれの党派の専制独裁」を目指しているのである。これは不寛容かつ国民を奴隷化する態度である。この危険から国民を護るには「国民的統一を尊重し、その権威に服する態度を堅持しなくてはならない」。

1の実現のための2の心構えは近代国家において充分に養成されているとはいい難い。「奉公」は言葉としては「公への奉仕」を意味するが、封建的な主人への奉仕の意味ではなく公共的なるものへの奉仕の意義を獲得しなければならない。これは「国家を存立せしめる根本の条件」である。

そこで3が問題となる。日本は原始時代からさまざまに時の権力者は交代してきたが、それにもかかわらず「天皇においてのみ国民的統一の表現を認めて来た」。日本国民は武力や権力による支配を認めなかったわけである。大統領制にせよ君主制にせよその背後には歴史的伝統が働いている。伝統の異なる国民が別の政治体制に移れば国民的統一は見失われやすいだろう。国民は「おのれに最も適した仕方」で国民的統一を護持する努力が必要である。

われわれはこの歴史的伝統を放棄してはならない。われわれは、国内の諸対立を超越した国民的統一を、天皇によって表現する以上によき方法を持たないのである。

倫理学〈4〉 (岩波文庫)

倫理学〈4〉 (岩波文庫)

 

*1:祖先の恩や功績に報いること。

*2:大東亜戦争の敗北。