王様の耳は驢馬の耳

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「文明と戦争」を読んで その二

 進化論的観点から戦闘という危険の伴う行為から、どのような報酬が得られるのか。フロイトは人間の基本的な衝動はすべて性的欲求に基づくとし、アルフレッド・アドラーは主に他者に優越しようとする欲求であるとした。しかし実際のすべての現場から得られた発見では、狩猟採集民を含む原始的な共同体において戦闘が起こる理由と類型はきわめて酷似しているという。

文明と戦争 (上)

文明と戦争 (上)

 

戦闘の動機は資源の獲得

理由は主に自給自足のための資源である。有史以前の時代の人間の生活は常に飢餓と餓死との恐れとの戦いの日々であり、資源の獲得は死亡率と出産率との両方に影響するため、資源をめぐる争いは「進化論的に見れば非常に費用効率が高いのである」。

外部に対する戦闘の抑止力を高めることで、戦士の死傷率を下げられれば、進化論的に見て紛争と比べて有効な戦略である。事実人間を含む動物が行う示威行為は「紛争において最も頻繁に用いる武器となっている」のであり、「相互不信を抱き、武装して互いを監視し合っている状態こそが、人間社会の典型的な姿である」。

ちなみに本書によれば、狩猟採集民の戦闘による死亡率は15%で、男性だけでは25%にも及ぶ*1

資源をめぐる争いに加えて、生殖をめぐっても争いが生じる。人間の女性は生涯生む子供の数は五人から十人程度*2に限られているが、人間の男性のみならず動物のオスが残すことができる子供の数は理屈上は無限である。しかし現実にはメスをめぐってオス同士が競合するため性的成功を収めるのは困難である。

一夫多妻制は女性の希少価値を高めるため、男性間の競争を激化させる。その他に狩猟採集および、農耕社会において女児殺しは頻繁に見られる慣習であり、親は食料や資源獲得の担い手になる男児を持つことを好むため、これが女性の希少性をさらに高める結果になった。産業革命以前の社会では出生時には男児と女児の比率はほぼ等しい*3が、幼児期には男児の数が女児のを圧倒する。

過酷な環境で暮らす民族ではそれが特に顕著に現れ、例えばエスキモーの社会では男女比が150~200対100にもなる。この社会では一夫多妻は見られず、男性が女性を得るために頻繁に殺し合っても不思議はない。とはいえ、未開社会では男児の数が圧倒的だが、暴力的紛争によって成人期にはほぼ均衡を保つようになる。

上述の問題は女性が増えれば解決されるはずだが、つねに脅威に曝されている環境下では家族を守れる男児を望む傾向が強くなるため悪循環(囚人のジレンマ)に陥っている。

ところで、女性をめぐる男性間の争いで負けるのはほぼ若い男性である。女性は初潮を迎えれば15歳くらいで結婚する準備ができるのだが、男性は結婚できるまでに長い期間成長し、競争し、自らの地位を獲得する必要がある。こういった社会の男性の婚期はおよそ30歳前後で、その間に若い男性は暴力や事故によって命を落とす。そうして女性の希少性と男性の晩婚で帳尻が合うのである。

一般的な戦闘方法は奇襲

狩猟採集民の主要な戦法は急襲や待ち伏せであり、相手が襲撃を予期してないところをこっそりと奇襲することが多かった。そのため大きな戦闘集団が小さな野営地を襲撃した場合にもっとも多くの死傷者が出た。他の戦術として裏切り工作を仕掛けることもあった。

襲撃に成功した集団は無差別に他方の集団を一方的に殺害し、住人たちを完全に一掃してしまうこともある。その際拉致できる女性は例外的に生かされ、場合によっては子供も奴隷として生かされることもあるが、基本的に男性や少年は殺されることが多かったようだ。

逆に公然と対峙し合う戦いは一方が明らかに優勢であるか、双方が急襲に向かう途中で偶然遭遇した場合のみ行われた。こういった戦いはいつも判然としないものだったようで、双方が距離を取り近接戦闘はほとんど行われず、むしろ儀礼化された形式的行為に終始し、互いに挑発や示威行為を繰り返すだけのものだった。それは何時間も続くが、時々休憩をはさみ、日が暮れると戦いは終わった。

上の脚注に示したが、国家間の戦争が未開社会と比較して死亡率が低いということは、人間同士の殺害が他の哺乳類に比べてそうとう少なく、「人間の自然状態」が実際には非常に不安定で暴力と死が蔓延したものであったことを示す。 

上述のように急襲よる第一撃能力は攻撃側に大きな有利性を与えるため死傷者も多く出し、また攻撃した側が次の標的にもなり得るという戦争を行ってきた。このことから「論理的には全ての軍事力が先制的な要素を持つ」と言える。というのも、もしこちらが攻撃を控えれば相手も攻撃してこない保証はないため、仮に相手方の軍事力を壊滅か致命的に弱体化ができるならそうすべきだからだ。もし徹底的に痛めつけなければ相手の抑止力が復活し確立してしまい、停戦まで無意味な報復の応酬が続いてしまう。

社会には常に、特有で複雑な環境の組み合わせから生じる大きな多様性が存在した。それでもなお、程度の差こそあれ、実際に全ての社会が暴力的闘争の可能性と取り組み、それに備え、場合によっては参画しなければならなかった。……純然たる平和主義は従属と絶滅に至る確実な切符であったことは明らかである。絶対的かつ比較的欠乏という統制のとれない世界にあっては、全ての人間社会が多かれ少なかれ「試合に参加する」ことを強いられたのである。  

*1:第二次ポエニ戦争では成人男性の死亡率が少なくとも17%。フランスの総人口における戦死者は17世紀で1.1%、18世紀で2.7%、19世紀で3%、20世紀の最初の30年で6.3%。アメリカ南北戦争では人口の1.3%。第一次世界大戦の仏独両国で約3%、うち男性15%、第二次大戦ではソ連が15%、独が約5%の人口が死んでいる。

*2:最適な自然条件下では二十人以上生むことが可能だと言われている。

*3:105対100の比率で男児が多い。