王様の耳は驢馬の耳

週一の更新で受け売りを書き散らしております。

「戦争論 われわれの内にひそむ女神ベローナ」を読んで その一

戦争の話題続きで恐縮だが、筆者は石津朋之氏の著作を何冊か読み、その中で取り上げられたいくつかの気になった著書を読んでいるためである。以前の記事にも書いたが、世間の戦争に対する悲惨だという否定的側面以外の肯定的側面があるのではないかと筆者は考えていた。これに対して誰もが拒否感と嫌悪感を露わにし、一度も賛同を得たことがない。しかし筆者の考えに自信を与えてくれたのが石津氏であった。

今回から取り上げるロジェ・カイヨワ著の『戦争論 われわれの内にひそむ女神ベローナ』は石津氏の著書の中でも扱われたものだ。戦争とは如何なるものであるかを歴史的に解説した良書であろう。

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「戦争文化論」を読んで その三

前回も触れたが、戦争文化が他の文化同様に実用性に欠けた、そのほとんどが「無用の」虚飾であるというのがクレフェルトの主張するところである。では、もしその戦争文化が何らかの理由で十分に機能しなかったらばどうなるのか。著者は四つの結果が考えられるという。

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「戦争文化論」を読んで その一

理論的に考えれば、戦争は目的を達成する一つの手段である。野蛮ではあるが、ある集団の利益を図ることを意図して、その集団と対立する人々を殺し、傷つけ、あるいは他の手段で無力化する合理的な活動である。

上の一節から始まる「戦争文化論」は歴史学者軍事学者のマーチン・ファン・クレフェルト教授が発表したものである。上記の思想は「戦争は外交の延長である」というクラウゼヴィッツの主張の範疇にあり、戦争は合理的な利益に奉仕するものであるという今日でも一般的な戦争観といえる。しかしクレフェルトは言う。

 だが、この考えは見当違いもはなはだしい。

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「インテリジェンス入門」を読んで その弐

前回はドイツとフランスの情報活動に触れた。今回はイギリスの情報活動に関して少し触れてみたい。情報活動一つとってみても、ずいぶん文化の違いが表れてくるものである。

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インテリジェンス入門

インテリジェンス入門

 

 

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