王様の耳は驢馬の耳

週一の更新で受け売りを書き散らしております。

2016-12-01から1ヶ月間の記事一覧

国民である前に人間か

人は第一に人間でなければならない。人間としての基本が成って、漸く国民であることが出来るのである。 故に日本または日本人ということに固執するのは、真実の人間となる根拠足り得ないというのである。なるほど、人としての踏むべき道を把握し、未熟なる自…

自殺は卑怯か その弐

前回は自殺者は卑怯かどうかを考えてみた。今回も続けて考えてみたい。 さて、よく耳にする自殺者に対しての批難に、弱すぎるという声が在る。だから死ぬのだと言わんばかりである。 [前記事貼付]

自殺は卑怯か その壱

自殺は卑怯かどうか。この場合の卑怯とは勇気がなく臆病な様を指すが、自殺には相当の覚悟が必要であることは、今生きている人間であれば誰もが同意するところであろう。自殺する程の勇気があればと、よく耳にする言葉であるが、知ってか知らずかある程度ま…

宗教は軽蔑すべき迷信か その弐

前回は宗教とは如何なるものであるのかを述べた。今回は宗教権威の失墜が如何に起こったかということから見ていきたい。 bambawest.hatenablog.com

宗教は軽蔑すべき迷信か その壱

冒頭から私事で恐縮だが、筆者はこれまで信仰心を抱いたことがない。何となれば自身、理知こそが真理に到達できると信じていたからである。故に宗教などまさに迷信、盲信の極みであると高をくくっていたのである。今でこそ多少の理解は有るものの、信仰を得…

古事記を味読すれば ㋺

さて、早速話を続けたい。 bambawest.hatenablog.com

学問と読書 その弐

前回の続いて今回も読書と学問に就いてである。読書が著作をある種の崇拝になると、有害無益に陥る弊に就いて述べた。 bambawest.hatenablog.com ではどうすれば可いのか。

読書と学問 その壱

筆者は毎年50冊程度本を読む。読書家を自認する諸氏からすれば、嗤われる冊数だろう。遊興に耽りたい気持ちに鞭し、寸暇を惜しんで読書に努めては居るつもりであるが、果たしてこれで道を得られるのかどうか、甚だ心許ない。 周囲からの視線も、必ずしも温…

古事記を味読すれば ㋑

速読の効用が高調される昨今であるが、その中ですっかり等閑に付されて久しいのは味読であろう。読んで字の如く味わって読むの大切さを、古事記の一節から再確認してみたい。

戦争は無くすべきではない

過激な表題で煽っているようだが、そんな気は全くないのだ。筆者自身、戦争は無い方が好いという気持ちは人並みにある。しかし人間本性として戦いを否定し去って、果たしてそれが正しいのか否か。ここで考えて見る価値はある。

「痩我慢の説」を読んで

福沢諭吉 瘠我慢の説 瘠我慢の説 殺人散財は一時の禍にして、士風の維持は万世の要なり。

「正統とは何か」を考える

ギルバート・ケイス・チェスタトンの「正統とは何か」を以前に首を傾げながら読んだ。以下は有名な一節であるが、やはりどうしても引っ掛かるのである。

多様性について

ncase.me これは或るサイトで紹介されていた、多角形(多種族)社会のシミュレーションである。前提も過程も、その結果も疑問の残る実験であるが、色々と考えさせられる。