「倫理学」を読んで その十六
国土の自覚は国家の自覚
人間存在の空間性が人倫的組織として展開することで家や庭、村落や田畑などで具体的場面に表現されていることを見てきた。それらはそれぞれの共同体に「固有のもの」であり、この固有の存在を担っている自然の姿は「地面に一ぱいに敷きつめている」。これを「自然環境」と呼んでいるが、実際には「主体的共同存在の表現」なのである。その意味での自然環境は「多種多様な内容」を持ち、「複雑きわまりのない織物」のようにあらゆる共同体の諸段階を包含するものである。
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「倫理学」を読んで その十五
歴史は国家の自覚
人間存在の構造として空間性と時間性とがあることを以前に触れた。交通と通信は人間存在の空間性を現し、その空間的な主体的ひろがりは同時に「主体的人間の時間性」を現す。
人間存在は主体的にひろがっている。が、そのひろがりは、主体的な連絡として、既存の間柄を担いつつ現前の行動において可能的な間柄を目ざす、というごとき構造を持たざるを得ない。
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「倫理学」を読んで その十二
ここからは第三分冊に入る。ようやく半分を過ぎたことになるが、もうしばらくこの書に付き合うことになる。今回は国家について和辻の考えを見ていこう。
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