王様の耳は驢馬の耳

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神道の略歴

山田孝雄に出会えたのは幸運であった。神道の歴史を簡潔に解説されていて、このまま筆者の中で寝かしておいても勿体ない。備忘録も兼ねてここで簡単に書き留めて置きたい。

 

 古神道

古からの神道神道の名すらなく、漠然として”道”とくらいにしか意識されてなかった、上代からの日本本来の精神。後に仏教に飲み込まれる。
 
両部神道
その始まりは仏教伝来にまで遡る。神仏習合本地垂迹。仏が本で、神はその権現(化身)。仏教が日本に浸透できたのは、神道を否定せずに、巧みに利用したのが成功の秘訣である。ここがキリスト教との大きな違いだろう。


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山王神道
平安末期から鎌倉時代天台宗の総本山、比叡山延暦寺で生まれた神道比叡山山岳信仰神道天台宗とのハイブリッド神道と言えよう。
神々は信仰するが、基本は本地垂迹。釈迦の化身であるとする。
 
伊勢神道
鎌倉時代末期に出現。反本地垂迹。伊勢外宮の神職、渡会家行*1が唱えるが、実は内宮の風下に立つのが嫌で、外宮の豊受大神(水神)は天照大神(火神)と同等か、あるいは優れていると五行説を根拠に宣う。

これもハイブリッド神道だが、反仏教を唱えたということでは意義深い。

 
吉田神道
室町時代吉田兼倶*2が創始。卜部氏。かなり政治的な人だったようで、彼以降日本の神社のほとんどは吉田の支配下となる。残りは元主流であった白川伯王家*3影響下の神社。

問題の神道自体は神道を主体とするが、やはりハイブリッド神道である。それも巧妙なハイブリッド。仏教を「花実」儒教を「枝葉」神道を「根」と言う辺りにそれが伺える。融通無碍なだけに広く浸透する。
 
吉川・垂加神道
江戸時代前期、儒教神道の合一を目指し、水戸学や後の尊王思想に大きな影響を与える。吉田神道を学んだ吉川惟足*4吉川神道を唱え、その弟子、山崎闇斎*5垂加神道を起こし、国学を盛り上げる。闇斎は仏教から儒教儒教から神道へ進んだおもしろい経歴を持つ。

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復古神道
仏教儒教などの外来思想を排除し、古の道に戻ろうとする。惟神(かんながら)の道*6。まさに日本のルネッサンスである。

契沖、荷田春満賀茂真淵本居宣長と来て、平田篤胤*7で大成。廃仏毀釈など過激な一面も見せるが、明治維新、現在の神道国学復古神道を無視することはできない。学問的神道とも言いうる。上述の白川伯王家が師として篤胤を招き、吉田神道も後に招いた。

以上が神道の辿った歴史的概要である。山田孝雄のどの著書であったか思い出せない。筆者は乱読気味で、その上メモも取らなければ纏めもしないため、殆ど忘れてしまうのである。ずいぶん無駄な読書法だと嗤われても仕方がないが、忘れてしまうことは忘れてしまえば好いのである。

*1:度会家行 - Wikipedia

*2:吉田兼倶 - Wikipedia

*3:白川伯王家 - Wikipedia

*4:吉川惟足 - Wikipedia

*5:山崎闇斎 - Wikipedia

*6:「神ながらとは神の道に従いて亦自ら神の道あると謂う(第36代孝徳天皇)」と云うのは、天下を治め給う御大業は、只神代から引き続いて、そのままに治め、少しも独断を加えられることがないのを意味する。

次にこのようにして神代のままに万事を大様に支配なされば、自然と神の道に適い、それで十分であり、他に何物をも必要としないことを「自ら神の道あり」と云ったのであった。

故に「現御神としての大八洲を支配される」と云うのも、その御代に於ける天皇の御政治の方針が、そのまま神の御政治の方針と一致する意味である。山田孝雄解説

*7:平田篤胤 - Wikipedia