王様の耳は驢馬の耳

週一の更新で受け売りを書き散らしております。

「戦争学原論」を読んで その弐

 

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前回と同じく石津朋之氏の「戦争学原論」についてである。

すでに前回で戦争とは合理的な政治的事象ではなく、文化的事象であることに触れた。この考えは筆者の従来の考えを補強するもので、我が意を強くするものであった。情けない話であるが、筆者は戦争には肯定的側面があるという考えをブログ以外で他人に話したことは、極々親しい者以外に一度としてない。

保守派の活動を通しての知人は少なくないが、その誰もが戦争に対しては極力避けるべきものとして認識しているからである。なにも積極的に戦争せよと話したいのではない。戦争を避けるにせよ、始めるにせよ、それを多角的に眺める重要性を議論したいのだが、なかなか理解を得ることは難しいだろうと躊躇しているのである。

ともあれ、さっそく本題に入りたいのだが、実は前回でほとんど書きたいことは書き尽くした感があるので、今回は気になった点を列挙するに留めたい。

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「戦争学原論」を読んで その壱

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当ブログでは何度か戦争について取り上げてきたが、大半の人間にとって受け入れ難いものであったとおもう。つまり戦争には肯定的側面があるということである。興味があれば過去記事を参照していただきたい。

今回とりあげる「戦争学原論」の著者である石津朋之氏は、「戦争は人類が営む大きな社会的な活動である。」と持論を述べ、そこから改めて戦争について考え直すきっかけと思案する際の材料を与えてくれる。

また、日本において平和学は活発に議論されているが、戦争をタブー視するあまり、戦争の学問的研究やその教育水準も低い。海外では活発な議論がなされている戦争に関する学術的、学際的な学問領域が不在であり、その現状を少しでも改善し、「戦争学」を確立したいと考えている。

戦争をただただ悲惨なものとして忌避するのでなく、戦争を様々な観点から眺めることは重要である。予め断っておくが、戦争に勝利するための方法を論じた本ではない。では見ていこう。

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「空気の研究」を読んで その弐

概略に関しては前回触れた。氏特有の観点からの日本における「空気」の仕組みの分析には一読の価値はあろうし、現在でも通じる問題提起であろうが、筆者個人としてはここまで高い評価を受けるほどの内容だろうかと疑問におもう。

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

 

 

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「空気の研究」を読んで その壱

「空気の研究」の著者、山本七平キリスト教徒であり、大東亜戦争ではルソン島で戦い、そこで終戦を迎える。帰国後イザヤ・ベンダサンの名義で「日本人とユダヤ人」出版したのは氏であることはほぼ間違いないようだ。

氏の主張する日本人の特質を「空気」という言葉で表しそれを分析したことは有名で、これを山本学ともいうそうだ。今回はこの「空気」について二三述べてみたい。

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

 
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「人体600万年史」を読んで その弐

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人体の歴史を学ぶことは、人間という存在を正しく理解する一助になる。生き物である以上、その種の行動様式になんらかの規範が認められるだろう。それに則った生き方が、自然であり自由である。

だから原始的生活に戻ろう、などというのは極論であることはいうまでもない。しかし現代社会を生きる我々が抱える諸々の問題、あるいは病気がなぜ生起するのかを知る手がかりになろう。そのような問題に多くの示唆を与えてくれる書である。

では前回の続きである。

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