王様の耳は驢馬の耳

週一の更新で受け売りを書き散らしております。

「戦争論 われわれの内にひそむ女神ベローナ」を読んで その四

最後にするが、今回もロジェ・カイヨワの「戦争論 われわれの内にひそむ女神ベローナ」である。前回までに書いておきたかった事はほとんど書いてしまったので、今回は備忘録として気になったいくつかの箇所を書いて終わりにしたい。

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「戦争論 われわれの内にひそむ女神ベローナ」を読んで その三

戦争は、聖なるものの基本的性格を、高度に備えたものである。そして、人が客観性をもってそれを考察することを禁じているかに見える。 

上はロジェ・カイヨワの「戦争の眩暈」の序文である。戦争を客観的に検証しようとすれば、それは精神を麻痺させてしまい、検証者から冷静さを奪ってしまう。戦争に対する人々の反応は様々であり、そのうち戦争を賞賛するものどれもが説得力に欠けるものばかりである。これに対し、戦争を咎める意見は、疑う余地のない事実を告げている。

Bellona Smiteより

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「戦争論 われわれの内にひそむ女神ベローナ」を読んで その二

前回に続いて今回もロジェ・カイヨワの『戦争論 われわれの内にひそむ女神ベローナ』を取り上げたい。蛇足かもしれないが、訳者のあとがきに「原題を直訳すれば、『ベローナ、戦争への傾斜』となり、現代社会が坂道を転げ落ちるように戦争へと向かってゆく、その趨勢を意味している。」と述べ、しかしそのままでは日本で出版するには不向きであると判断したようだ。ちなみにベローナは戦争の神であり、軍神であるマルスの妻である。夫婦そろってマッチョであることは疑いない。

さて、前回は封建時代の貴族による戦争の独占と、その特殊な戦争形態を見てきた。この話は興味深いので、もう少し書いておこうとおもう。

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「戦争論 われわれの内にひそむ女神ベローナ」を読んで その一

戦争の話題続きで恐縮だが、筆者は石津朋之氏の著作を何冊か読み、その中で取り上げられたいくつかの気になった著書を読んでいるためである。以前の記事にも書いたが、世間の戦争に対する悲惨だという否定的側面以外の肯定的側面があるのではないかと筆者は考えていた。これに対して誰もが拒否感と嫌悪感を露わにし、一度も賛同を得たことがない。しかし筆者の考えに自信を与えてくれたのが石津氏であった。

今回から取り上げるロジェ・カイヨワ著の『戦争論 われわれの内にひそむ女神ベローナ』は石津氏の著書の中でも扱われたものだ。戦争とは如何なるものであるかを歴史的に解説した良書であろう。

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「戦争文化論」を読んで その三

前回も触れたが、戦争文化が他の文化同様に実用性に欠けた、そのほとんどが「無用の」虚飾であるというのがクレフェルトの主張するところである。では、もしその戦争文化が何らかの理由で十分に機能しなかったらばどうなるのか。著者は四つの結果が考えられるという。

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