王様の耳は驢馬の耳

週一の更新で受け売りを書き散らしております。

「倫理学」を読んで その二

前回は行為する「個人」は人間の全体性の否定としてのみ成立し、人間の全体性は個別性の否定によって成立する人間の二重性を見てきた。さて、近代の個人主義哲学者はこの「個人」の個別的実在性を追求し、人間の共同性を洗い去った先に到達したところを見てみたい。

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「倫理学」を読んで その一

和辻哲郎の主著と言えるこの『倫理学』は哲学書であり、前著である『人間の学としての倫理学』を体系的に叙述しようと試みた大著である。和辻自身が認めるように、本著は一見異様に見える。というのも、ありきたりな倫理学書といえば「既成の倫理学の定義や概念を並べ立ててその整理をもって能事おわれりとする」ものだが、倫理学の任務は「倫理そのものの把捉」であるとしているためだ。

倫理は「我々の日常の存在を貫いている理法」であるから、誰でもその足元から発見することができるものである。倫理そのものは倫理学書の中にあるのではなく「人間の存在自身の内にある」ということである。

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「平気でうそをつく人たち」を読んで その三

これまではペック氏が邪悪と呼んでいる個人に関する内容だったが、邪悪ではない大多数の個人、つまり集団の犯す悪についても触れておく。ペック氏は1968年ベトナム戦争でアメリカ軍バーカー任務部隊の一小隊によって行われたソンミ村虐殺事件を取り上げ、なぜこのような事件が起こるのかを心理学的に考察している。

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「平気でうそをつく人たち」を読んで その二

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邪悪性は家族内に広まる傾向がある

邪悪性が先天性のものか後天性のものであるかは、まだよくわかっていない。とはいえ、悪性のナルシシズムの根源に関わる理論で優勢を占めているのが「防衛現象」である。幼い子供の多くが様々なナルシシズム的特性を示すものだが、愛情深い両親のもとで正常な発達を遂げれば、自然と「卒業する」ものだと考えられている。しかしそうでない両親に育てられた子供は、自分を守るために幼児ナルシシズムを一種の心理的要塞として保存するという。したがって、邪悪な親に育てられた子供が、防衛のために邪悪にある可能性があるのだ。

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「平気でうそをつく人たち」を読んで その一

この本は危険な本である。

今回から取り上げる「平気でうそをつく人たち(原題People of the Lie)」著者であるM・スコット・ペック氏はアメリカの著名な心理学者であり、本の冒頭から警告を発する。彼は本書が潜在的に有害なものになることを恐れたからだ。著書の中で幾人かの「邪悪」な人びとが取り上げられているが、この本によってそれらの人びとが傷ついたり、あるいは本の内容を悪用する人が出てくることを恐れたからである。

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Morgan Scott Peck

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