王様の耳は驢馬の耳

週一の更新で受け売りを書き散らしております。

「平気でうそをつく人たち」を読んで その一

この本は危険な本である。

今回から取り上げる「平気でうそをつく人たち(原題People of the Lie)」著者であるM・スコット・ペック氏はアメリカの著名な心理学者であり、本の冒頭から警告を発する。彼は本書が潜在的に有害なものになることを恐れたからだ。著書の中で幾人かの「邪悪」な人びとが取り上げられているが、この本によってそれらの人びとが傷ついたり、あるいは本の内容を悪用する人が出てくることを恐れたからである。

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Morgan Scott Peck

「邪悪」な人びとの特徴

  • どんな町にも住んでいる、ごく普通の人
  • 自分には欠点がないと思いこんでいる
  • 異常に意思が強い
  • 罪悪感や自責の念に耐えることを絶対的に拒否する
  • 他者をスケープゴートにして、責任を転嫁する
  • 体面や世間体のためには人並み以上に努力する
  • 他人に善人だと思われることを強く望む

要するに自惚れ屋のことを指すのだろう。精神医学用語でいう「悪性のナルシシズム」であり、邪悪な人びとは尊大なプライドを持ち、傲慢なる完全性自己像を墨守しようとする。とはいえ、人格特性に邪悪性を備える人びとと犯罪者とは分けて考えなければならないし、悪行が邪悪な人間性を生むわけでもない。刑務所で服務する犯罪者たちを診断すれば下される主なものは、狂気、衝動性、攻撃性、良心の欠如などであるが、本書で問題とされる人びとは明白な欠陥を持たない隠微なものだ。

邪悪な人びとの特徴の詳細

上の邪悪な人びとの特徴と重複する部分もあるが、特徴の詳細に触れておきたい。まず最も特徴的な行動として、彼らの完全性という自己像を守るために他人を犠牲、つまりスケープゴートにすることが挙げられる。彼らは自分には欠点がないと深く信じ込み、他人と衝突した際にはかならず他人が間違っているから衝突が起こるのだと考える。自分の悪を否定しなければならないのだから、他人を悪だと見做さざるを得ないのだ。他人を犠牲にすることによる自己嫌悪の欠如が、ペック氏が邪悪と呼ぶものの中核である。

良心が欠落しているような人間は精神病質者(サイコパス)、または社会病質者(ソシオパス)と呼ばれ、罪の意識を持たないためにある種の無謀さを持って犯罪に走る。彼らは自分の犯した犯罪に対して心を煩わせたりすることがほとんどないが、ペック氏が邪悪と呼ぶ人びとは完全性という自己像を守るために、善人であるように見られることを熱望している。

彼らにとって善とは上辺だけのものだが、善悪の感覚、罪の意識は持っているため他人よりもまず自分自身を欺き、その意識から逃れようと必死の努力をする。また自身の不完全性にも同様の努力を払う。ペック氏が彼らを「虚偽の人々」と呼ぶ所以である。彼らは精神病質者のように道徳意識の欠如から心楽しく生活しているのではなく、自身の邪悪性を自覚しつつもそれを消し去ろうとしている。邪悪性とはまさにここから生じるのであり、彼らの悪行は邪悪性の隠蔽をする過程の一部として間接的に行われるのである。

人は苦痛を避け、そこから逃れようとするもので、引き受けるべき「当然の苦しみ」からも逃れたいという欲求があり、こういった怠惰が精神病の根底に存在する。邪悪な人びとはこの怠惰には当てはまらない。むしろ彼らは体面や世間体のため、つまりは自身の完全性を証明、または補強するためであれば人並み以上に努力する傾向にある。しかし彼らが忌避するのは自身の良心、罪深さ、不完全性を認識するという苦痛からである。

精神が健全な大人であれば、自分よりも上位の、たとえば神や理想や社会やなどなにがしかに服従し、自分の満足よりも先に良心の要求に従うものだ。ところが邪悪な人びとは自分の意志と良心がぶつかったとき、敗退するのは常に良心であり、良心に反したことから来る罪悪感である。彼らの意志の強さはペック氏は異常なほどだという。なぜそこまでの強さを保持できるのかは、推測の域を出ないが、悪性のナルシシズムが特に影響しているのだろうという。 

文庫 平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学 (草思社文庫)

文庫 平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学 (草思社文庫)