王様の耳は驢馬の耳

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意識の超問題に悩む その弐

前回の続きである。長い間自分の存在の意味に悩まされてきたことは書いた。いつものように本を読んでいると、こんな記事を見つけた。昭和五十年代に茨城県の沼地で、前大戦中に墜落した小型戦闘機の残骸が発見されたという。

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bambawest.hatenablog.com

 

操縦席には白骨化した遺骸が残っており、身元が確認されると彼は当時まだ十九歳の少年飛行士だったということがわかった。恐らくは本土に襲来した米軍戦闘機に撃ち落とされたのだろう。

さらに推測するに、彼は大した戦果も挙げないまま空しく最期を遂げたのであろう。では彼は犬死だったのかと言えば、無論そうではない。彼や彼のように戦場の露と消えていった無数の若い命は、これまでの短い生涯とこれからの未来を祖国と後に続く者のために、いともあっさりと棄てたのである。

前回に触れたことだが、自分は世界の起源であり中心である。つまり主人公であるはずであるにも拘わらず、歴史に何の痕跡も残さずに朽ちてゆく脇役である。腑に落ちない話で甚だ不条理であるが、前大戦中の戦士たちはそんなことを一顧だにせず前線へ我先に突撃し後続の盾となって死んだ。

幸運にも戦果を挙げ生き延びた者の胸に輝く勲章は、彼の前に斃れた戦友の血で賄われたものだと言えよう。我々は歴史に偉大な足跡を残した個人の伝記は、それを支えた無数の人間のことは等閑に付して一顧も与えない。本来ならば彼等にこそ最大の賞賛が与えられて然るべきである。ある社会主義者は言う。

私が個人的な偉業を賞賛する時は、その個人のみにするのではない。
彼、或いは組織にある背景。つまり彼等を生み出した社会、および伝統と歴史に大半の惜しみない拍手を送るのである。
残りは個人に与えられるべきである。

誰もが人生の、世界の主役たらんとして己の器量に応じて、時にそれ以上の栄光を得んとして世界を舞台に躍り出る。人間は皆主役であろうと望むのは言わずもがなのことである。しかしその舞台裏には己の卑小と非才とに耐えて、舞台に上ることなく幕が下りるままに任せる無数の人間が居る。

天上と天下にただ一人の尊い、世界の起源であり、また中心であるこの世の主人公たる自分が、その他大勢の脇役に過ぎない死者たちの列に勧んで加わることは何より尊い

自分を諦め棄てることで逆に自分を得ることも道であろうし、自分の非才に耐え、或いは不遇をじっと忍び、脇役に徹するのもまた道であろう。我々が一番多くの恩恵を受けているのは、一見無意義な最期を迎えた、名もない死者たちからである。

何のために自己意識が生じたのか皆目見当もつかないが、不惑を前に漸く自分の存在価値が朧気ながら見えてきた。